2017年10月/ 09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

2017.04.02 (Sun)

明学ラグビー1年生部員たち

ヨーロッパラグビーーの国際試合をテレビ見るたび
熱かったあの青春時代を思い出す。

白金台の明治学院大学の校門を初めてくぐった大学1年の春、
門を入って銀杏並木の坂道を進んで
グランド右手にあったラグビー部の部室を訪れた。
あの時は、確か下駄ばきだったような記憶がある。

九州大分から上京したニキビ華やかな
田舎者のトッポイ兄ちゃんだった。

何しろ58年前の記憶だから定かでない。
念のためネットで明学をググったら
創始者のヘボン博士の胸像がある、と書いてあるが
ハッキリ覚えていない。

先輩たちに大分舞鶴高校ラグビー部出身だと告げたら
喜んでくれた。
一応高校ラグビーの聖地花園に僕が1年生の時と3年生の
時の2回出場していたので先輩たちも舞鶴の
名前を知っていたからだ。

同学年1年生のメンバーは皆ユニークな連中ばかりだった。
大阪のファンファンこと木俣、相撲取りのような体格の藤本、
笑顔が人懐っこいセンターバックの北畑、
彼は身体は小柄だったが、抜群のスワーブ(ステップバック)
で相手守備陣を突破した。
屋和儀三郎、ジャズキチの佐伯、アイヌ人とのハーフ田井、
そして将棋の駒のような四角い顔の加藤、
彼は高田の馬場にある寿司屋の息子だった。
そうそう、吉井というのもいたな…。

この中で、屋和君とは、30数年後、
パラグアイで奇跡的な再開を果たした。
彼が何かの要件で新聞社を尋ねてきたのだ。

お互い、最初レッ、レッ?
何か見たことのあるような相手だな…?
ーと思いつつ2言3言話した後、
「高倉か…!」 「屋和か…!」とまぁ、
パラグアイで奇跡の再開を果たしたわけだ。
彼はサンパウロで「南米通信社」の社長をしている。

2年生の会津若松での夏合宿で僕は右肩を痛めて
以降タックルが出来なくなった。

その2年生の夏休み郷里大分に帰った僕はそのまま、
大分に残り上京せず、ズルズルと大学を休学して
中退してしまった。

何ともハヤ、青春残念物語となってしまった。




























ランキングに登録しました。
良かったら、クリックして下さい。


12:23  |  エッセー  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示
 (現在非公開コメント投稿不可)
 

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://saketobara.blog50.fc2.com/tb.php/739-d484d07e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME |