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2005.07.07 (Thu)

パラグアイへの日本人移住

パラグアイは、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイとの
3国戦争(1865~1870)で壊滅的な大敗を喫し、
南米の最貧国に陥った。
戦前130万人いた人口も約22万人にまで激減し、特に
成人男子は皆無に等しく残った男性は、老人と幼児だけという
惨澹たる有り様だった。

このためパラグアイ政府は、代々、国力回復のため外国から
資本、技術および労働力として外国人移住者の受け入れを
奨励してきた。

当初は、欧米人に限られていたが1936年、ラ・コルメナ(アスンシオンから
東南130㎞)にブラジルからの指導移民として
日本人移住者が入植した。

パ国政府は翌1937年、大統領令をもって有色人種も受け入れる事になった。

ラ・コルメナへの日本人移住は第2次大戦により一時、中断したが、
1954年(昭和29年)5月、ラ・コルメナへの移住が再開された。

以後、パ国政府直営の移住地チャベスにも日本人が入植した。
ついで日本の移住振興会社によりフラム移住地、アルトパラナ移住地
イグアス移住地などに次々入植した。

これらとは別に、アメリカのジョンソン大統領の従兄弟が経営する
コーヒー農園に日本人移住者が雇用農として入植したが、間もなく
当農園は倒産し日本人移住者は自営農家として独立していった。

パラグアイ移住のきっかけとなったのは、ブラジルで成立した
「2分制限法」であった。
これは日本から続々押し寄せる日本人移民に「このままでは、
日本人に乗っ取られる」と恐怖したブラジル政府が、前年度の
移住者の2%を限度とする移民制限法であった。

これは明らかに日本人を標的にしたものだった。

貧しかった当時の日本から、一獲千金を夢見ての海外移住志向熱は
旺盛で日本政府はブラジルに代わる受け入れ国を探した。

そしてパラグアイのラ・コルメナに白羽の矢が立った。




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テーマ : パラグアイ - ジャンル : 海外情報

タグ : 日本人移住史

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