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2012.09.29 (Sat)

8/29(土)ボケロンの祝日 

今日は、ボリビアとの戦争で勝利した
ボケロンの祝日だ。



*チャコ戦争とは、1932年から1938年にかけて

ボリビアとパラグアイの間で行なわれた戦争。


両国の未確定国境地帯であった

グラン・チャコに石油の埋蔵があるという仮説を受けて、

その地域の国境を確定させ、また国土拡大の為に

ボリビアの先制攻撃で始まったが、

戦闘はパラグアイが優勢となった。

周辺国とアメリカの仲介による

ブエノスアイレス講和条約で戦争は終結した。

パラグアイはグラン・チャコ全域の支配権を得て

領土を拡張し、一方でボリビアはパラグアイ川のへの

河川交通アクセス権を得て、

太平洋戦争以来の水運を確保した。

しかし、この戦争で両国は疲弊し、

軍部の革命などに繋がった。



元々ボリビアとパラグアイの境界に位置する

グラン・チャコは、植民地時代からチャルカスの

高等司法院(ボリビア側)と

アスンシオン総督(パラグアイ側)の間で

領有権が争われていたのだが、

その対立が独立以降に持ち越された形となって

領土問題ははじまった。

1879年の太平洋戦争に負けて海への

出口を失っていたボリビアは、パラグアイ川を

独占的に使って大西洋側への

自由なアクセスを得たいと願っていた。

一方、パラグアイは1870年に終結した

三国同盟戦争による壊滅的な被害から

ようやく立ち直りつつあり、

領土拡大を欲するようになっていた。

そのような中、アンデス山脈の麓で

石油がとれることがわかり、ボリビア南東部の

チャコ地方に大量の石油が埋蔵されているという

仮説が立てられた。

この利権は、敗戦からの立ち直りのために

双方とも是が非でも必要なものであり、

パラグアイはメノナイト教徒などの移民を誘致して

領有権を固めようとする一方で

ボリビアも要塞を建設するなど

実効支配に取り組み出した。

1931年7月には国交を断絶し、1932年6月15日、

ついに両国の間に戦争が起こった。

当時パラグアイ政府はロイヤル・ダッチ・シェル社と

結びついており、ボリビア政府は

スタンダード・オイル社と結びついていたことより、

石油メジャーの代理戦争とも言われた。


ボリビアは戦争の参謀として第一次世界大戦で活躍した

ドイツ人将校を起用していた。

一方、パラグアイ軍はロシア帝国の軍人に

参謀を依頼した。

兵員数では25万人対15万人と、ボリビア軍のほうが

パラグアイ軍をだいぶ上回っていた。

さらに、ボリビアは戦車を導入するなど、

近代的な軍を持っていたのに対し、

パラグアイ軍の戦い方はゲリラ戦のような、

前近代的な点が多かった。

戦争はボリビア軍が不意を突く形で始まった。

それまでにも国境付近のパラグアイの

要塞を攻撃することはあったが、

本格的な侵攻はこれが初めてだった。

気候風土がそれぞれ全く異なるボリビア中から

兵士が徴兵され、外国製の最新兵器を手に

ボリビア軍はグラン・チャコに侵攻していき

、1932年6月15日には瞬く間に要衝の

カルロス・アントニオ・ロペス要塞を攻略した。

ボリビア軍は兵器の最新性と数を頼みにしていたが、

国民統合という点では国民の約9割がメスティーソという

パラグアイ人の方に分があった。

この国民統合はパラグアイ人の驚くほどの

団結力を生み出し、

さらにホセ・フェリックス・エスティガリビア中佐と

エウセビオ・アヤラ大統領の軍と

政治家のトップが優秀で、しかも互いに理解のある

コンビだったことはパラグアイにとって幸運だった。

また、チャコ地方に古くから暮らしている

グアラニー族の人々は、

パラグアイに帰属している人のほうが多く、

土地勘などの面でもパラグアイに優位性があった。

一方、ボリビア軍には、チャコ地方とは気候風土が

全く違うアンデス地域の人たちが多くいた。

たとえば、戦車兵は暑さに耐えきれず、

開閉部のドアを開けたまま走行したため、

そこに攻撃されるといった事態が続出したという。


パラグアイ軍は一ヵ月後の1932年7月15日には

カルロス・アントニオ・ロペス要塞を、

その二ヵ月後にはボケロン要塞を奪還する

ボケロンの戦い。

11月、キロメトロ7の戦い。



1933年1月、第一次ナナワの戦い。

2月、カンポ・ホルダンの戦い。

7月、第二次ナナワの戦い及びゴンドラの戦い。

8-9月、カンポ・グランデの戦い。


そして11月にカンポ・ビアの戦いで

パラグアイが勝利すると、

戦線はボリビア領内に移行した。

この戦いでボリビア軍から接収した兵器や弾薬の量は

開戦時のパラグアイ軍の

それを上回っていたといわれている。

1934年5月、カニャーダ・ストロンゲストの戦い。


1935年4月には初めてボリビア領の

都市チャラグア(英語版)を占領したが、

これがパラグアイ軍の限界だった。

一方開戦以来負け続けていたボリビア軍だったが、

こうしてパラグアイ軍がアンデス地方に迫ってくると

話が違ってきた。

既にパラグアイの財政は戦費で破綻寸前になっていた。

さらにアンデスの気候がパラグアイ軍にとって

厳しいものとなり、萌芽が見えた

ボリビアのナショナリズムはボリビア軍に

英雄的な戦いをさせた。

パラグアイ軍は攻めあぐね 、ボリビア東部の

主要都市であるサンタクルスにたどり着く気配は

一向に見えなかった。

このようにしてお互いに攻め手にかけ、

戦線が膠着状態に陥った。

こうして1935年6月、アルゼンチンの仲介により

休戦条約が結ばれ、ここでようやく実質的な

戦闘は終了した。



ブエノスアイレス講和条約

1938年、ボリビアとパラグアイの間で

ブエノスアイレス講和条約が結ばれた。

米州の地域有力国のアルゼンチン・ブラジル

・ウルグアイ・チリ・コロンビア・ペルー

・アメリカ合衆国が中立の立場として

この講和を仲介した。

この講和条約によって、広大なチャコ地方は

パラグアイに帰属することが決まったが、

チャコ地方は経済的にはあまり豊かな土地ではなく、

失ったものに比べればパラグアイの得たものは

少なかったと言えるだろう。

国境線はほぼパラグアイの主張通りに決定されたが、

ボリビアはパラグアイ川につながる

小さな領土(プエルト・ブッシュ)を獲得している。

ボリビアの地図をよく見ると

東側に小さく飛び出した部分があるが、

これがその領土である。

この領土とパラグアイ川を使ってボリビアは

大西洋への水路を得たのであるが、

現在はこの水路による流通は

あまり重要なものとはなっていない。

この講和に力を尽くしたアルゼンチンの政治家、

カルロス・サアベドラ・ラマス は、

1936年にラテンアメリカ初の

ノーベル平和賞受賞者となっている。

結果

チャコ地方は高温で水の乏しい地域であり、

戦闘は過酷なものであった。両軍は敵との戦いとともに、

マラリア等の病気とも闘わなければならなかった。

ボリビア側には5万人から6万人、

パラグアイ側には4万人の死者が出たとも言われている。

当時のボリビアの人口はおよそ300万人と

されているので、

国民50人に1人がこの戦争で命を失ったことになる。

結局、チャコ地方で石油は現在まで発見されていない。

ボリビアが死守した、アンデス山脈に近い

カミリでは若干ながら石油・天然ガスの採掘が

現在でも行なわれている。

元々南米で一、二を争うほど貧しかった両国は

戦争によりさらに疲弊し、戦後政情不安が続いた。

そして両国ともこの戦争で活躍した青年将校が

主役となって社会主義的、

あるいは国家社会主義的な政治が進んだ。

1936年にクーデターで政権を握った

革命二月党のラファエル・フランコ大佐を

はじめとするパラグアイの軍人は、

それまでの政治家が考えなかった社会改革を考え、

農地改革を行って貧農に土地を分配し、

国家労働局を設立して労働者を保護しようとした。

さらに、ナショナリズムの観点から

フランシスコ・ソラーノ・ロペスの

名誉回復も急速に進んだ。


一方ボリビアの軍人や知識人は敗戦の理由を

国民意識が成立していないことだと考え、

ラテンアメリカ初となった

外国資本(スタンダード・オイル社)の国有化や、

ボリビアのアイデンティティ模索が始まることになる。

このことはボリビアでは1952年のボリビア革命に、

パラグアイではアルフレド・ストロエスネルの

長期独裁に繋がった。

余談 [編集]

グラン・チャコ地域は水の乏しい地域であり、

地域唯一の泉が泥水であるということが殆どだった。

しかし、そんな中でもマテ茶で濾過したテレレを飲んだ

パラグアイ兵は体調を悪くすることなく

戦い続けたという。

このためパラグアイでは勝利は

マテ茶のおかげだと信じられている。


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