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2005.05.24 (Tue)

「3国戦争」その6 ウマイタ要塞陥落

 態勢を立て直した連合軍は、1968年2月19日、
 ブラジル艦隊43隻、兵士4000がウマイタ要塞を
 攻撃した。この攻防戦を3隻が強行突破して
 首都アスンシオンに迫り、町を砲撃して撤退した。 

 首都を攻撃されたことに大きな衝撃を受けたロペスは
 前線から指示を送り政府と住民をアスンシオンから 
 東10キロのルーケの町に移動させ、臨時政府を置いた。

 24時間以内の移動を命じられた住民は
 まさに着のみ着のまま、家財道具を運ぶ暇もなく
 ルーケ郊外で野外生活を余儀無くされた。

 今、このルーケの町は銀細工の町として有名である。

 3月、ロペスは、司令部をテビクワリ河のサンフエルナンドに
 後退し防衛戦を敷いた。

 この頃、徹底抗戦に固執するロペスを排除して
 停戦に持ち込もうとする陰謀が
 パラグアイ国内で発覚した。

 陰謀グループ368人が捕らえられ
 サンフエルナンドに設置した特別法廷で処刑された。

 その中には、ロペスの弟のアンヘル・ベニクノ・ロペスや
 義弟ら2人も含まれていた。

 筆者は、このテビクワリ河を6年前、国道1号線の
 フィラデルフィアから筏で1週間かけて友人等と
 川下りをしたことがある。
 川幅は100m足らずの中級河川である。

 パラグアイ河と合流する河口付近は支流がいくつも
 迷路のように蛇行し本流から外れないように苦労したことを
 覚えている。

 パラグアイ河に出るとすぐ下流に繊維の町として有名な
 ピラールの町がある。

 ウマイタ要塞はそのピラールの町から約40㎞下流にある。

 すでに1年余り敵の包囲下にあったウマイタ要塞は
 食料弾薬とも欠乏していた。

 防衛司令官のアレン大佐は絶望のあまり自決。

 7月、クルパイティ砲台とともに
 ウマイタ要塞は陥落した。  

 ウマイタ要塞を落した連合軍は北上を開始。

 ロペスはさらに防衛戦の後退を余儀無くされ
 首都アスンシオンの南35kmのピキシリ河に
 最終防衛戦を布陣。

 その兵力は老人、子供を含めて13000。

 連合軍38000は南正面からの攻撃を避けて、
 その兵力を2手に分け
 一部の兵力は迂回して首都アスンシオンの近くまで北上、
 もう1隊も北上し、それぞれ南下し
 パラグアイ軍の背後から攻撃した。

 それぞれの部隊を迎え討ったパラグアイ軍は 
 ほとんど全滅。

 12月21日から7日間続いたイタ・イバテの戦闘では
 老人、子供に混じって600人の女性も参加して
 必死の抵抗を試みたがほぼ全滅。

 ロペスは部下60名とともに命からがら逃走した。

 1969年1月1日、連合軍はアスンシオンに入城し
 臨時民主政府を樹立した。
  



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テーマ : パラグアイ - ジャンル : 海外情報

タグ : 3国戦争 パラグアイ 歴史 ブラジル

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