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2005.05.18 (Wed)
南米史上最大の戦争「3国戦争」 その1
独立以来、啓蒙専制君主カルロス・アントニオ・ロペス大統領
(1844~62)の努力によりブラジル、アルゼンチンの
2大国に挟まれながら国力を充実した。
C・A・ロペス大統領は、国の基盤を作る間、
鎖国制度をとり、ヨーロッパに留学生を派遣したり
専門家を招聘したりして各分野の最新技術を導入して
南米最初の鉄道や製鉄所を建設。
南米有数の先進国となった。
1862年、C・A・ロペス大統領の死後、
その息子、フランシスコ・ソラノ・ロペスが大統領に
就任すると一気にパラグアイを取り巻く国際環境は一変した。
元々、植民地政策を進めてきた南米各国の国境線は
不確定のまま火種を抱えたまま燻ってきた。
野心家で南米のナポレオンを夢見た
F・S・ロペス大統領は、
国境問題を一挙に解決しようとした。
彼が目をつけたのがウルグアイであった。
ウルグアイは、ブランコ(白)派とコロラド(赤)派が
永年争い政情不案が続いていた。
ロペス大統領は、海への出口を確保するため
ブランコ派と手を組み軍事援助をした。
これに対しコロラド派を支持するブラジル、
アルゼンチンが反発。
ウルグアイの内乱は結局、コロラド派が勝利した。
そして1865年、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの
間に対パラグアイ3国同盟条約が締結された。
かくして南米史上最大の戦争「3国戦争」が勃発する。
*写真は世界でも珍しい表と裏が異なるパラグアイ国旗



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