2017年04月/ 03月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫05月

2009.09.11 (Fri)

完敗!   脱ニッポン 日系オバマを!

完  敗!



サンパークホテルは、北原が借りている
マンスリーマンションのすぐ近くであった。
ここは地の利が良い事で知られた
ビジネスホテルだった。
優子と二人のツインベッドの部屋は
意外に狭かった。

やがてテレビで開票速報が流され始めた。
夜11時過ぎ比例区の当確発表が
つぎつぎでてくるようになった。
選挙事務所の東選挙参謀からまだホテルで
待機しているようにとの電話が入った。
テレビカメラはもう3台入っているという。
新聞記者も数人待機しているようだ。

公民党比例区の投票数が画面に登場する。
北原は公民党比例区のどん尻で
全く票が伸びない。
まさか?このままでいくとは思えないが?
北原は優子と顔を見合わせた。
「おかしいわね?」優子も不安そうだ。

当選出来るとは思わなかったが
まさかここまで惨敗するとは
予想もしなかった。
NHKの政見放送収録時に次ぐ
みじめな屈辱だった。
午前零時を過ぎてやっと10000票を
突破した。

携帯電話がなった。
「もう事務所に来て下さい。マスコミに
挨拶しなければいけませんから」
東の口調も低く重かった。
事務所に顔を出すと世界緑化協会の
事務局長や大勢の支援者たちが沈んだ表情で
北原を迎えた。
事務所の空気は打ち沈んでいた。
カメラマンや新聞記者たちも
気の毒そうな顔で北原を迎えた。

「この完敗は全く私の実力不足の結果です。
内外の応援して頂いた支援者の方々に
心からお詫び申し上げます」
テレビカメラに向かって話す北原の敗戦の
言葉もともすれば途切れがちになった。

北原は公民党比例区候補者中、
最下位12875票。
弁明の余地ない完敗だった。

テレビ局や新聞記者が引き上げた後、
事務所スタッフ、支援者を前にして
北原はお礼の言葉を述べた。

「私は公民党公認候補となった時、
政治家になる事が天命だと信じて皆様に
支援して頂いてがむしゃらに
頑張ってきました。
しかし、どうやら私の使命は政治家に
なる事ではないようです。
もっと別な使命があるようです。
私の当選を信じて今日まで応援していただき
心から感謝申し上げます」
優子ともども深々と頭を下げた。

だが、聞いていた皆には単なる
いいわけにしか聞こえなかっただろうが、
北原は真剣にそう信じていた。

斉藤事務局長がそんな葬式ムードを
ぶち破るように大声を上げた。

「僕は日本の政治家になることが
そんなに重要だとは思いません。
僕の息子は僕に似て頭がいい。優秀です。
将来ブラジルの大統領にしてみせます!」
事務所の空気がこの大ボラ話に和み
拍手をした。

東参謀が「スポーツ新聞や週刊誌を
敬遠していたのが失敗でしたね…」と
ボソッと言った。

マンションに帰ろうと事務所の外に出ると
山本孝が彼の車の中で嗚咽していた。
「済みません。力不足で…」
それをみて優子も泣いた。

「選挙は、支持者に迷惑をかけるから、
絶対勝てると確信出来なければ
出るべきではない」と出馬前、
落選経験のある現職議員からの忠告が
今さらながら北原の胸に応えた。


落選後、応援してくれた国会議員、
内外の支持者たちへのお礼挨拶を
一通り済ませた北原は誰にも
会いたくない気持ちに陥った。
ある現職議員が落選した時、半年程、
家から一歩も出なかったという話を
人伝てに聞いたことがあったが
その彼の気持ちが痛い程、分かった。

幸か不幸かパラグアイへの帰国便が
満席でチケットが取れなかった。
2週間先にやっとキャンセル待ちで
予約を入れることが出来た。




福原武一の別荘 阿蘇へ




どこか僻地の廃寺でもあれば、
そこでひっそりと暫く優子と暮らしたいと
思った。

まだ、大分事務所の整理をしなければ
ならなかった。
東京の整理が一段落ついた後、
大分へ向かった。
お盆の帰省ラッシュも終わり夏の暑さも
どうやら峠を越えた感じだった。
事務所の机やソファー、冷蔵庫、
テレビなどはそれぞれ売ったり手伝って
くれた人にやったりして整理がついた。
ガランとした事務所にペタンと座り込んで
改めて部屋を見直した。

これで終わった…。
やるべきことはやり、悔いはなかった。
あとはまた、新たに満ちてくるさざ波を
待てばよかった。

東京に帰る前にどこか田舎の
鄙びた温泉でも行って
ささくれだった気持ちを癒したかった。
大分事務所の支援者それぞれに選挙応援の
お礼の電話をかけた。

その中に福原武一がいた。
「帰る迄に一度、うちの阿蘇山にある
“迎賓館”に泊まりにきませんか?」と、
おどけるような調子で彼は言った。
福原は高校のラグビー部1年後輩にあたり
熊本で車関係のディーラーをしている。
福原の事業は成功し、
熊本の納税者番付にも名前を
連ねたことがある、と大分の彼の
同期生が以前、北原に話していた。
彼は選挙中も精一杯応援してくれた。

2日後、彼に電話をした。
「どうぞ、どうぞ、うちの迎賓館へ!と
言っても普段使っていない
普通の民家ですけどね」迎賓館とは、
彼一流のジョークである。

阿蘇山の雄大な高原で落選の傷を癒せる等
願ってもないことだった。
優子と二人、大分駅からJR豊肥線に乗った。

滝廉太郎の名曲「荒城の月」のモデルと
なった有名な竹田市は周囲を山に囲まれ
トンネルが多い。別名「レンコンの町」
とも呼ばれている盆地の町、豊後竹田を
抜けると、やがて阿蘇外輪山の
カルデラ高原地帯に入る。
豊後の黒牛、肥後の赤牛と言われる赤牛が
のんびりと草を食んでいる風景に変わる。
大分から1時間半、阿蘇高原の風は
既に秋の気配を漂わせていた。
太古、阿蘇は、富士山と同じように
海抜1万mを超す巨大火山であった。
阿蘇外輪山内部の盆地カルデラ
(東西17㎞・南北25㎞・周囲128㎞)
に7つの町、村があり牧場や畑、鉄道や
道路が走っている。
カルデラの平坦部分は海抜約500m。
現在活動している火山を持つ
カルデラとして、阿蘇は世界最大である。
阿蘇のカルデラは約390万年前から
9万年前まで4回の大爆発と火砕流で
形成されたという。
最大の爆発は9万年前の4回目の大爆発で
その総噴出量は600キロ立方mに及んだ。
これは富士山の体積にほぼ匹敵する量で
流出した火砕流は九州の半分以上を覆った。
今なお活火山を持つ巨大な盆地の中で人々は
阿蘇が与える豊かな恵みの温泉や
天然水を享受して日々の生活を営んでいる。

宮地駅に迎えに来た福原とは高校卒業以来
40年振りの再会だった。
黒ぶち眼鏡をかけた福原は昔通りの
人なつっこい笑顔を浮かべ改札口で
待っていた。
がっちりと福原と握手して再会を
喜びあった北原の眼前に根子岳、高岳、
(五岳の最高峰・海抜1592m)中岳、
烏帽子岳、杵島岳の阿蘇五岳が
悠然とそびえていた。
              (以下次号)







ランキングに登録しました。
良かったら、クリックして下さい。


タグ : 脱ニッポン 日系オバマを

09:48  |  脱ニッポン…  日系オバマを!  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示
 (現在非公開コメント投稿不可)
 

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://saketobara.blog50.fc2.com/tb.php/390-27faba22
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME |