2017年10月/ 09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

2005.04.04 (Mon)

インカ帝国まで到着出来なかったガボーと

パラグアイの第一発見者、アレホ・ガルシアの次に
登場するのが、セバスチャン・ガボートである。

イタリアのベニス生まれのガボートは、
スペインのカルロス5世国王より
マゼランによって発見された
大西洋から大平洋への通路(マゼラン海峡)を経由
してマラッカに行くように命令された。

航海長に就任したガボートは1526年4月、
乗組員211人、帆船3隻の船団でスペインを出発した。

10月25日、Yuru Animi島に到着した彼は、
その日が丁度、妻の誕生日だったので、この島を
彼女の名前にちなみサンタ・カタリナと命名した。

彼はこの島に住み着いていた白人達(アレホ・ガルシアの
仲間など)やインディオたちから、パラナ河をさかのぼり
西に行けば黄金郷があると聞かされてマラッカ行きより
金銀探しに行った方がスペイン王国のためであると
理由をつけて協定書違反を心配する部下たちをなだめて
パラナ河航行を決意した。

しかし、この航海は困難を極め、蛇やとかげなどを食糧に
しながら何とかパラグアイ河口に到着した。

そしてここのインディオたちが金銀の腕輪、首飾りその他の
金属製品を多数持っているので、その出所を聞いた所、
パラグアイ河をはるかにさかのぼった所にあるとの答えを
得た。

勇躍パラグアイ河をさかのぼって行ったが途中でアガセス族の
襲撃を受けたので一旦、体制を立て直すために引き返した。
そこへスペイン国王よりリオデ・ラ・プラタ流域の正式な
開発権を与えられていたDiego Garcia Moguer
艦隊と遭遇した。

このディエゴ艦隊は、ガボート艦隊より3カ月前、スペインを出港
していたが、途中で遅れてラ・プラタ流域に到着した。
協定違反をして黄金郷を目指していたガボートには、
正式な当地域の開発権を与えられていなかったので
2人の航海長の間でもめた。

結局、両者の仲たがいがすべてを台なしにした。
両艦隊は1530年、空しくスペインに帰還した。

もし、両者が協力してパラグアイ河をさかのぼっていたら
莫大な金銀とインカ帝国征服という歴史的な偉業を達成
していたであろう。

しかし、この探検でパラナ河、パラグアイ河を発見したことは
スペインで大反響を呼び、
Pedoro de Mendoza 大艦隊派遣の糸口
となった。



ランキングに登録しました。
良かったら、クリックして下さい。


テーマ : パラグアイ - ジャンル : 海外情報

タグ : インカ帝国 パラグアイ スペイン 歴史

14:32  |  パラグアイの歴史  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示
 (現在非公開コメント投稿不可)
 

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://saketobara.blog50.fc2.com/tb.php/39-e4f72ec0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME |