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2009.08.14 (Fri)

ブラジルでサンバを踊る

アスンシオンからサンパウロへ


4カ月振りに戻ったパラグアイの6月下旬は
冬である。
しかし、降り立ったアスンシオンは春の様な
陽気で快晴だった。
「昨日迄ものすごく寒かったのですよ」
パラグアイの後援会事務局長をしている
山岡寛が空港から南米ジャーナル本社へ
向かう車中で言った。
午後2時からレストラン土佐サロンで
総決起大会を行った。
折から来パ中の世界緑化協会の
ウルグアイ総局山上理事も当総決起大会に
参加した。
来賓が次々激励のエールを送り北原も期待に
答える旨の昂揚した挨拶をした。
熱い拍手に送られて再び
アスンシオン空港へ向かう。
アスンシオン滞在6時間弱で17、05分の
VARIG便でサンパウロへ飛び立った。


ブラジルでサンバ


サンパウロ着19、45分。
ブラジルとパラグアイの時差があるので、
実際の搭乗時間は1時間40分である。
空港には、広田ルイスが迎えに来ており
彼の車で日系パレスホテルへチェックイン。
ホテルには地元邦字紙の赤木パウロ社長と
世界緑化協会南米駐在代表の鈴木忠が
ロビーで待っていた。
2人から当地のスケジュール説明を受けて
部屋に入った北原は時差ぼけ調整剤
メラトニンを通常の3倍に当たる
6錠飲んでベッドに転がり込んだ。

翌27日(日)、早朝6時、北原は
リベルダーデ広場でのラジオ体操に
世界緑化協会の鈴木忠と
「海外日本人代表を国会に送る運動」
の黒田弥太郎サンパウロ支部長と
共に参加した。
このリベルダーデ広場は、
ガルボンブエノの東洋人街の起点、
地下鉄リベルダーデ駅前にある。
昔は日本人街と言う名前だったが、
今では中国人や韓国人が多くなり
東洋人街と名前を変えた。
この広場では毎日曜日、焼き鳥、たこ焼き、
焼そばなどの屋台が出て大勢の
サンパウロっ子で賑わう。

ラジオ体操を一緒にしていると
1台のバスが到着した。
バスから降りて来たのはサンパウロの
「歩こう会」のメンバーだった。
アリアンサにある田場農場から夜行で
帰って来た一行だった。
彼等もラジオ体操に加わった。
ラジオ体操が終わると、田辺と黒田の2人が
彼等に「公民党公認、ジロウ北原」と
襟に染め抜いた赤い法被を配った。

やがて50数名の高齢者揃いの静かな
赤い法被軍団がゾロゾロと
ガルボンブエノ街を
ホテルニッケイパラセに向かって
行進をはじめた。
先頭にはやはり赤い法被を着た北原、鈴木、
黒田の3人が「公民党公認・ジロウ北原」と
書いた横断幕を持って進んだ。
それは奇妙な一団だった。
朝7時過ぎのガルボンブエノ街は店も
人通りも少ない。
それでも救急病院前にたむろしている
ブラジル人たちがモノ珍し気に眺めていた。
デモンストレーションとしては
余り効果はなかったが、ホテル前で
記念写真をとることで一定の目的は達した。

当日、午後、ニッケイパラセホテルの
2ブロック下の角にある日伯文化協会で
挙行されている移民芸能祭に北原は
飛び入り参加することになっていた。
舞台上から挨拶して
カラオケを歌う予定だった。
歌についてはブラジル側の鈴木、
黒田と東京の選挙事務所の
斎藤事務局長との間で何度かメールや
電話でやり取りし、「上を向いて歩こう」を
歌って会場のみんなと
合唱する事になっていた。
所が文化協会の1室で待機していたら
「カラオケは中止になりました」と
黒田が北原に告げた。
何でも関係者の一部から
「日本のテレビ、新聞社などの報道陣が
来ている中、真面目な選挙にカラオケなどを
歌うと軽くみられる」という意見が出て
中止になったということだ。

早朝の赤い法被軍団大行進時には
一人もいなかった取材陣が午後になると、
どっと押し寄せた。

司会が「海外日本人代表として参院選に
出馬している公民党公認候補
ジロー北原さんです!」と紹介する。
舞台正面に北原が進むとその後に
後援会関係者が「ジロウ北原」の幟を
持って勢ぞろいする。
舞台下にはテレビカメラが
ズラリ待機している。
ロスからの同行取材の局スタッフ、
現地の代行取材班等、日本の主要メディアが
勢揃い。
こんなに日本のマスコミが集結したのは
皇太子来伯以来のことだそうだ。
北原は黒田、鈴木らとブラジル移住者向けに
修正した演説文を分かりやすく
諄々と話した。
会場に来ているお客さんは殆どが高齢者だ。
ブラジル日本人移民は1908年の
第1回笠戸丸が嚆矢でコーヒー農園の
雇用農として移住してきた。
2008年に移住100年祭を迎える。
移住者たちは皆、筆舌に尽くしがたい
苦労を重ねてきた。
会場につめかけている高齢者たちは、
一様に人生の苦節の深い皺をきざんでいる。
北原の胸に熱い感動が沸き起こった。

北原は、文化協会会館一杯を埋めた
人々に万感の想いを込めて訴えた。
「私もパラグアイの1移住者です。
日本政府は人口削減のためブラジル移民を
国策として奨励した。
ヨーロッパ各国は移民を海外の貴重な
資産として様々な支援をしてきている。
それに比べて日本は、一旦、国外に出た
日本人を棄民として『現地に同化せよ』と
説くばかりで同じ日本人としてみていない。
在外原爆被爆者然り、先に施行された
在外選挙権も比例選挙だけを与えて
選挙区選挙は与えていない
半人前の扱いである。
ヨーロッパの国々は在外選挙区を設けて
海外から各国の国会議員に当選して
国際的な視野でそれぞれの国政の
舵取りをしている。
『皆さん方、ひとり一人が外交官です』と
日本から来たエライ人たちは
外交辞令でおっしゃる。
しかし、彼等は移住者の苦難の歴史も
移住者が海外に存在する重みも何も知らない。
皆さんたちこそが日本人の尖兵として
『日本人の名誉を汚すまい』と
歯を食いしばって頑張ってきたからこそ
『ジャポネ ガランチード』
(日本人は信用出来る)という信頼の
ブランドをかち取ったのです。
ヨーロッパ人たちが銃とバイブルを持って
原住民を皆殺しにして広大な土地を
我がものにしました。
遅れて鍬と食べ物の種子を持って
南米大陸に登場した日本人移住者たちは、
苦節の末、今、豊穣な食べ物をこの大地に
もたらせたのです。
南米大陸にヘンポンと日の丸の旗が
はためく土地が数百万もあります。
その日の丸がはためく土地は
それぞれの日本人移住者の心の中に
はためいているのです。
私は皆さん方移住者のため、
『ご苦労様』のお礼の意味を込めて
全力で老齢福祉年金を受給出来るように
努力します」

ちょっと固過ぎたかな?と反省しながら
舞台を降りると南米メディアサービスの社長、
小田三郎が舞台脇から駆け寄って来た。
「何でカラオケ歌わなかったの?
テレビ局の連中はそれを撮ろうと
皆ここに待機してたんだよ」と詰問調で
北原に問い質した。

小田は北原と大学で一緒にラグビーをした
同期である。
大学を離れてお互い出会うこともなく
30年近く経ったある日、彼が
アスンシオンの北原の新聞社に
スコッチウイスキーを手みやげに
取材協力の依頼に来た。
お互い初対面の挨拶をしたものの
(アレッ?)「小田君じゃないか?」
「何だ北原かよ~!」と30年振りの
再会を果たして以降、交流を続けている。
今回の北原の出馬に関しても彼の尽力は
大きなものがあった。

詳しく彼に弁明する暇もないまま、
文協を出ると4トントラックを改装した
選挙カーに乗り込んだ。
車体ボディー両側には、
「公民党比例区公認候補・ジロウ北原」と
派手な横断幕が取り付けられている。
日本の憲政史上初めて海外で選挙カーによる
遊説がスタートした。

文協前からリベルダーデ広場迄の
東洋人街ガルボンブエノを
スピーカーのボリュームをガンガン上げて
ゆっくりと走る。
選挙カーには
「ジロウ北原・公民党公認候補」と書いた
赤いハッピを着た関係者たちが
目一杯乗り込み上気した顔で沿道の人々に
手を振る。
まさにお祭りである。
選挙カーの前後左右にテレビカメラ、
新聞社のカメラマンが遅れじと
小走りに移動する。
途中、何事かとブラジル人たちが
目を丸くして見つめる。
「日本の参議院議員の選挙戦で~す!」と
マイクで二世の県人会長がポルトガル語で
説明すると、一斉に手を振って
「ガンバレ~!」と一緒になって大騒ぎする。
東洋人街にお祭り騒ぎの選挙戦が出現した。
リベルダーデ駅前広場は毎日曜日恒例の
東洋市(焼そば、たこ焼き、イカ焼き、
かき氷などの屋台で賑わう)が
催されており大勢の人たちで
ごった返している。
その広場の一角に選挙カーを止める。
サンバ


トラックを止める場所は既に確保されており、
そこに振り袖姿の日系二世の
セニョリータ4名と褐色の
ブラジル人美女3名、タンバリン等
打楽器奏者3名が待機していた。
選挙カーが止まるとサンバ隊が陽気な
リズムを奏でる。そ
れに合わせて褐色の美女たちが腰を
くねらせて踊り始める。
北原も促されて美女たちの踊りに加わる。
180センチ近い彼女たちは更に
ハイヒールを履いているので
北原がまるで子供のように見える。
北原は彼女たちの豊満な腰に手を添えて
ギクシャクしたサンバを踊る。
はた目には何ともユーモラスな
ダンスシーンであった。
賑やかなサンバが終わると後援会の幹部が
北原に七夕飾りに必勝祈願を書く様に、
と筆ペンと短冊を渡した。
北原は一瞬目をつぶって短冊に
「必勝!ジロウ北原」と書いて用意された
竹笹に吊るした。 踊り子たちは
リオのカーニバルでも有名な
サンバチームであった。
勿論、このシーンはバッチリ日本を
代表する全国紙の紙面をカラーで飾り
テレビでも放映された。

興奮に包まれた同夜、ガルボンブエノの
居酒屋で関係者たちが集まって
怪気炎を上げた。

翌28日、深夜、
JAL便サンパウロ発23時55分で
サンパウロを発った。
成田には、30日、13時に到着した。
6月24日の参院選公示日、
渋谷ハチ公前で第1声を上げた後、
成田空港から海外遊説に飛び立って
7日目の日本帰国であった。
成田に着いた北原は、羽田に向かい
同日18時20分のANA便で
大分に向かった。大分には
20時05分に到着。

いよいよ主戦場日本での本番決戦が始まる。
                (続く)





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タグ : 脱ニッポン… 日系オバマを!

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