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2009.08.06 (Thu)

政見放送 奈落の底に


政見放送 奈落の底に



6月21日、午前11時から東京渋谷の
NHKで政見放送本番収録が行われることに
なっていた。
その日、朝から北原は心身ともに
極度に疲れ果てていた。

数日来、地方出張が続いた。
NHK収録日の前日、静岡県の世界緑化協会が
関係する宗教団体の大祭に出席するため、
朝8時10分の新幹線に乗り掛川から
迎えの車で同教団の本部に向かった。
その神道系の教団本部は鄙びた小高い
丘陵地にあり真新しい
檜作りの神殿が見事だった。

北原はその大祭に集まっていた数百人の
善男善女たちに、「今、何故南米か?」
ということを平易な言葉で力説した。

大祭を無事終えて東京駅に戻ったのは
夜11時半だった。中央線に乗り換えて
新宿に帰る車内は込み合っていた。
つり革に両手でつかまり
床にへたり込みたいほど、
疲労困ぱいしていた。

本当ならその晩、本番収録用のせりふを
数十回練習する予定だった。
だが、明早朝に起きて練習しようと、
ぼんやり考えながら簡易ベッドに
倒れ泥のように眠った。

本番当日、カーテンからもれてくる朝陽に
眠りを妨げられた北原は、鉛のように
こわばった重い身体をベッドから
引き起こして窓から南東に見える
NTTの時計台を見た。
(ヤバイ!)時刻は、8時を過ぎていた。
窓から眩しいほど青い空が広がり、
白い雲がフ~ンワリ浮かんでいた。
渋谷のNHKに10時半迄集合となっていた。

9時半に小坂議員秘書の山本孝と広報担当の
山倉耕作が車で迎えに来ることになっている。

何よりも狼狽したのは体力ばかりか
気力が全く萎えていることだった。
歯を磨き、髪の毛を整えながら壁に
張っていた本番用の決め台詞を慌てて
10数回復習した。

ネクタイを締め背広に着替え6階から
エレベーターで玄関ホールを突っ切り、
このマンション入り口にあるコンビニ、
セブンイレブンでサンドイッチとミルク、
それにタレントのタモリが歯を剥き出して
笑っている精力ドリンクを2本買った。
マンション入り口に設けられている
休憩室の椅子に座りサンドイッチと
ミルクで朝食をとった。
朝食後、精力ドリンクを2本飲んだが
気力は奮い立たなかった。

やがて、山本が運転するカローラが
マンション前のエントランスに到着した。

電通OBの山倉耕作はいつもの笑みを
浮かべて北原の体調を聞いた。
車内で北原に決め台詞の
復唱を2、3度させた後、
アナウンサー必修とされる早口言葉と
明瞭な発音を促すため唇の柔軟にさせる
言葉を何度か練習させた。

北原のへたった気力は戻らぬまま
NHKに9時15分に着いた。
NHK受付で名前を告げると化粧室に
案内されて鏡の前の椅子に座らされ
係が慣れた手つきでペタペタと
ドーランを顔に塗った。
収録室へ向かうと既に候補者たちが
10数名集まっておりそれぞれの決め台詞を
あちこちで復習していた。
候補者全員が揃った時点でディレクターが
収録手順を説明した。

本番の前に1度だけ練習が行われた。
日高英太公民党広報担当議員が候補者全員に
ニコヤカに緊張をほぐすように話しかけた。
安藤晋三幹事長が演壇横で
次々候補者を紹介する。
何もかも公民党本部でリハーサルを
した時と同じ光景が展開した。
演説の順番は50音順になっており
北原は12番目だった。
リハーサルで北原は一か所トチッタ。
嫌な予感がした。

「本番収録は1回きりで撮り直しは
ありません」とディレクターが
何度も念を押した。

拳を振り上げる者、諄々と話す人、
名前を何度も繰り返す人、
それぞれ工夫した決め台詞を
皆確実にこなしていった。
中でも議員経験者は余裕たっぷり
CMタレントのように演じきり
(さすがだな~!)感心させられた。

「史上初めての海外在住の候補者
ジロウ北原さんです!」
安藤幹事長が例の早口で紹介する。

「コモエスタ、にっぽん!南米28年、
海外から史上初めて国政を目指します。
益々進む国際化、世界に誇る中小企業の
匠の技と知恵を海外に…」
突然、頭の中が真っ白になり
次の言葉が出て来なかった。
安藤幹事長が心配そうに
北原の方に顔を向けた。
それはほんの一瞬だっただろうが、
北原には無限地獄のように感じられた。

「日本から海外へのパイプを、
海外から日本への道を、ジロウ北原です。
よろしくお願いします」
何とか最後をまとめたものの
席に戻った北原は、このまま溶けて
消えてしまいたい絶望感に襲われた。

北原はイエスが十字架に磔にされた時、
叫んだと言われる言葉を心中で絶叫した。
(エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ!
『わが神、わが神、どうして私をお見捨てに
なったのですか?』)。

天は、南米のド田舎パラグアイで沈没した
「新・ノアの方舟」の1生存者の襟首を
掴んで南北米ドサ回りさせた。
そして引き上げ、その気にさせ、
最高の舞台を用意した。
すぐ目の前に栄光の世界が
待ち受けている筈だった。
最高の晴れ舞台が一挙に暗転して
北原は恥辱の泥にまみれみじめな姿を
世界中に晒した。
奈落の世界に突き落とすのが
天のプログラムだったのか…?
屈辱感に苛まされながら、
(天の目的は、俺を国会議員に
することではない)と、
この事だけは確信した。

他の候補者たちは北原の失敗を
あざ笑うように自信満々演説を終えた。
打ちひしがれた北原には他の候補者が皆、
自分とは比較にならない程、
とてつもなく偉く見えた。

収録後、日高広報担当議員が
「中にちょっと失敗した人がいましたが、
取り直ししなくていいですか?」と
口ごもりながら全員に話しかけた。
「大丈夫です!」非情な答えが
収録室にこだました。
他人の失敗は蜜の味…。

収録後、ビデオテープで全員の
収録状況を見た。
北原は自分の場面をテレビで
改めて見せつけられて身体が
凍りつくような自己嫌悪感に襲われた。
この選挙広報番組は、与野党の
全候補者が登場してNHKテレビで
連日放送される。
数年前から世界中でNHKテレビを
見る事が出来るようになった。
この候補者を見た世界中の有権者たちは、
絶対、この男に投票しないだろうと思われた。
                 (続く)






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