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2009.07.31 (Fri)

優子がパラグアイから駆けつける



優子もパラグアイから駆けつける



北原の公認が内定した5月中旬、
妻の優子がパラグアイから駆け付けた。
北原の選挙事務所のボランティアスタッフとして
小坂議員の秘書、甥や姪、東参謀の息子、
それにNGO世界緑化協会の人たちが勢ぞろいして
事務所は、活況を呈した。

ある日、赤木参議院幹事長が事務所に顔を出した。
赤木幹事長は東参謀に「最低でも2、3万票は
とって下さいよ」と懇願した。
北原の公認を決めた公民党幹部たちは、
最初っから当選等期待はしておらず
異色の海外日本人候補としての話題作りと割り切っていた。

もともと大きな争点もなく地味な参院選の中、
初の海外日本人候補として海外の日本人社会の存在を
あぶり出した北原の主張に新鮮味を見いだした
マスコミは好意的に北原を取り上げた。

公民党東京選挙区代表黒川信男は、東大、財務省出身と
エリートを絵に描いたような人物だった。
東参謀は「公約で環境問題を持ち出すのも
ピントがずれてるし、演説が全く面白くないですね~」
と首を傾げた。
確かに舞台横で北原が彼の演説を聞いても
ちょっと真面目過ぎて迫力不足に感じられた。
マスコミの下馬評では民主党の女性人気キャスターが
ダントツで2番手にも民主党のタレント候補が
上がっており、黒川は3番手か4番手になっていた。
連日、黒川候補の“刺身のつま“
として北原は演壇に立った。
公示日が迫ってくると公民党の総決起大会は
都内のあちこちで開かれ、時に妻の優子や
サンパウロから助っ人として馳せ参じた事務局長の
斉藤浩一も北原の代理として、
たすきをかけて演壇に立った。

「日本では主人の食事や身の回りのことをすればいいと
思っていたのに何千人の前で話をさせられるなんて
思いもしなかったわ。最初は足が震えて
止まらなかったわよ」と優子は北原にぼやいた。

公示日が真近かに迫ったある日、
某テレビ局から電話がかかった。
電話でテレビ局と話終えた東参謀が
「このテレビ局の独自調査によると北原候補は有力な
当確候補なので数日中にカメラの設置位置などを
確認したいので来所するそうです」
と嬉しそうに皆に報告した。
ワッとスタッフたちの歓声が上がった。

東京の選挙事務所は公認証を授与した翌日契約したのだが、
北原はその2日後、すぐ大分に飛び、以前借りていた
事務所を再契約した。
この事務所は北原がパラグアイに移住するまで働いていた
会社が所有しているビルの1階で大通りに面している
絶好のロケーションだった。
5月中旬、公認が内定した時点で当社の常務に
電話で「また、借りるから…」と電話で通知していた。
その常務は北原が同社で営業課長をしている時の
部下だった。

大分選挙事務所の事務局長には北原の高校の同期で
ラグビー部のキャプテンをしていた近藤秀雄に頼んだ。
彼は高校卒業後、地元の銀行に定年まで勤め上げて
定年後は、大分少年ラグビースクールの理事として
毎日曜日グランドで子供たちと汗を流していた。
結構、世話役で顔も広く色々な選挙にも
関わっていたようだった。
女性事務員は妻の優子の同級生が一人紹介してくれ、
もう一人は地元の参議院議員佐藤博子議員が紹介してくれた。
どちらも30代後半でてきぱきと事務能力に長けており、
パソコンに強いのが有り難かった。
それと北原の姪が仕事の合間に応援にくることになった。
事務所の備品などは前回パラグアイに引き上げる時、
運送会社の倉庫に保管してもらっていたものを
持ってきてもらった。

1年半前、北原は、失意の内に大分を引き払う時、
秘かに「アイシャルリターン!」という
言葉を胸の内で呟いた。
これは、マッカーサー将軍が日本軍の猛攻撃を受けて
フィリピンを撤退するときに決然と言い放った
言葉とされていた。
その言葉通り、大分の元の事務所に帰る事が出来て
北原は気持ちが高揚した。

1年半以上運送会社のコンテナに入れて
預けっ放しだったにも関わらずソファーやその他備品は
カビ一つなかった。
北原は確実にそれらの荷物を引き出す目処もたたないまま、
パラグアイで過ごし、電話一つかけてなかった。
それらの備品を入れたコンテナが野ざらしのままで
日本の高温多湿の夏期、変形したりカビが
はえたりしているのではないかと心配していたのだった。
事務所に運び込まれたそれらの備品はカビ一つ無かった。
荷物を持ってきた運送会社の人に
「きれいに保管していたんですね~」と感心して褒めた。
「大切な預かりものですからしょっちゅうコンテナを
開けて風を入れていました」とさらりとその職員は答えた。
パラグアイ社会の大雑把ないい加減な仕事振りに
慣れていた北原は改めて日本人の仕事振りに感じ入った。

6月24日の参院選公示日1週間前、妻の優子が
大分事務所の責任者として行った。
北原は連日、都内各所で行われる「刺身のつま演説」を
こなしながら、その合間を縫って名古屋、仙台、岐阜、
大分と走り回った。

選挙公示日前、NHKテレビで全候補者による政見放送の
収録が行われる。
公民党の候補者はその本番収録数日前、
公明民党本部の一室にNHKの収録室を模した
舞台が設置されてリハーサルが行われた。
演台、マイク、テレビカメラが設置され安藤晋三幹事長が
司会役を務め、あいうえお順に候補者が1分半演説を
行って自分をアピールする。
各人各様の決め台詞で大見えをきる。
北原の1分半演説はこうだ。

「コモエスタ!にっぽん。ジロウ北原です。
南米28年、海外から史上初めて国政を目指します。
益々進む国際化。世界に誇る中小企業の匠の技と知恵を
海外に!先進国最低の食糧自給率40%のニッポン、
お寒い限りです。万が一に備えてご家族の食の
安全保障作りをジロウ北原が行います!
日本と海外をつなぐ架け橋をジロウ北原、ジロウ北原に
お任せください!ジロウ北原をよろしくお願いします!」
リハーサルは2回行われた。

中にはトチル候補者もいたが、
「北原さんの出来が一番良かったですよ」と
リハーサルについてきていた北原の選挙広報担当の
山倉耕作がほめた。

「(公民党の)広報担当責任者の日高英太先生が
北原さんの演説をニコニコと頷きながら聞いていましたよ」
と小坂議員秘書の山本孝も駆け寄って北原の肩を叩いた。
山倉は小坂議員の大学の同級生で小坂議員に頼まれて
北原の対外広報を担当し、このキャッチフレーズも作った。
この後、別室で希望する候補者に日高英太広報担当議員が
インタビューするテレビ収録も行われた。
日高議員は元タレントだっただけあってソフトな
即席インタビューは見事なものだった。
この収録は全くのぶっつけ本番だったが、
北原は澱みなく応対した。
この日高議員によるインタビューはジロウ北原候補の
ホームページに使用された。
北原は元々シャベリには自信を持っていたが、
このリハーサルで益々自信を深めた。
北原のこの自信が数日後、
木っ端みじんになろうとは誰も予想していなかった。
                     (続く)





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