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2009.07.03 (Fri)

新連載  19 ロスで寺岡夫妻に8年振り会う

19
そしてロス





要望書「海外の原爆被爆者を助けて下さい」



「昭和20年8月、広島市および長崎市に投下された
原子爆弾という比類のない破壊兵器は、
幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、
たとえ一命をとりとめた被爆者にも生涯いやす事の
出来ない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活を
もたらせた。 このような原子爆弾の放射能に起因する
健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持、および増進並びに
福祉を図るため、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律
および原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を
制定し医療の給付、医療特別手当等の支給をはじめとする
各般の施策を講じてきた。また、われらは、再びこのような
惨禍が繰り返されることのないようにとの固い決意の下、
世界唯一の原子爆弾の被爆国として、下記兵器の究極的廃絶
と世界の恒久平和の確率を全世界に訴えてきた。
ここに被爆後50年の時を迎えるにあたり、われらは、
核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、
原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、
恒久の平和を念願するとともに、国の責任において
原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する
健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることに
鑑み、高齢化の進行している被爆者に対する保険、医療、
福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて国として
原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、
この法律を制定する」

これは被爆50周年に制定された「原子爆弾被爆者に
対する援護に関する法律」、通称、「援護法」
と呼ばれる序文です。 大変立派な序文です。
法律の内容も納得のいくものであり、
戦後苦しみ続けている被爆者に対する援護であり、
日本国の博愛精神、人道主義の現れと敬意を表します。
この法律の素晴らしい事は、人種、国籍、住居等の
差別がなく、被爆者手帳を持てばカバーされるように
なっています。しかし、どうしてか1974年の
公衆衛生局長通達により、海外の被爆者は除外されています。
普通、通達とは法律の施行に役立つ局内での
知らせと思います。しかし、この「通達」は立派な法律
「援護法」の施行をうやむやに曲げています。
なぜなのでしょうか? 何か外国に住む被爆者への偏見差別を
感じさせます。生涯いやすことの出来ない傷跡と
後遺症を持ち、不安の中での生活を続ける被爆者は
日本にいようとアメリカ、ブラジル、韓国にいようと
変わりません。日本政府がいろいろと審査被爆者と認定した
被爆者手帳の保持者です。なぜ海外にいるだけの理由で
いけないのでしょうか。大変不公平です。
厚生省の担当官の説明は
「あなた方は税金も払っていないから…」
「日本から逃げ出したから!」
「これは国内法だから!」
等の言い訳をしますがおかしいです。
序文には、
「ー国の責任に於いて…、高齢化の進んでいる
被爆者に対して…、総合的な援護対策を講じる…」
と銘記されており、全然、海外在住の被爆者を
除外するとは書いていません。
被爆者はどこに住んでも変わりません。
この解釈では、海外に出ると被爆者ではなくなるの
でしょうか? 博愛精神、人道主義、人間皆平等と
唱える日本国の美しい精神は、
この「通達」によって破壊されています。
思いますに外国に住む被爆者は殆どが外国人です。
しかし、日本国籍の被爆者がアメリカに約500人、
南米に約200人、韓国や北朝鮮にもいます。
この数少ない被爆者は日本人として日本国憲法に
よって平等に保護され、どこに住んでも日本人として
尊重され、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を
有すると信じます。日本国憲法は、海外にいるものには
通用しないのですか?
日本はそんなに非人道的な国なのでしょうか?
南米の被爆者の多くは敗戦後、
「苦しい日本に住むよりチャンスのある新天地を
求めて移住しましょう」と国や県の移住局の盛んな宣伝、
奨励によって行かれた方のようです。
確かにこの方々は人数も少ない。
そして金も力もない人たちです。 ほっとけば、
そのうちに亡くなり問題も消えるから…と無視し、
排斥や差別をしないで下さい。
老齢化したこの被爆者は遠い祖国日本からの
愛の贈り物を心から夢見ています。
もしも助けてあげるのでしたらこの方々が元気な時に
して下さい。 お願い致します。
この世界日系人大会にこの運動をお願いしましたのが
1998年からです。原爆が落ちたのがもう
54年前のことだから、もう忘れた、
考えることもないという方もいます。
しかし、この歴史はじめての惨状は言語に絶します。
忘れてはならないことです。 現在、私どもは、
日本の被爆者の代表団体の「日本被団協」
の強力な支援でブラジル、韓国、そしてアメリカの
被爆者が合同して海外の被爆者にも「援護法」の
一部でも支援してほしいと運動をしています。
よく知られていない私どもは人数は少なく、
資金もなく、政治家を動かす力もありません。
アメリカは民主主義の国です。
いつも人数と資金のあるグループは大変強いです。
その反面、数の少ないグループは力もなく哀れです。
しかし、この「弱者」に対して人道主義の政治家もおり
「弱者」を助けています。アメリカの被爆者救済運動も
この人道主義の政治家の支援で法案を提出して、
公聴会まで開催しましたが敗れました。
そして大統領にも嘆願書を送りましたが
「正当なる戦争」の理由で断られました。
しかし、ある高官は日本では被爆者支援を実行している。
1000人位の被爆者なら日本に行って嘆願しなさい
との進言もありました。
しかし、頼りにする日本は、
「海外にいるのでだめだ」と蹴られています。
現在、ある方はこの問題を裁判で提訴中です。
最高裁の判決迄10年かかると言われています。
被爆者の平均年齢は70歳になります。
10年は待てません。 この伝統ある強力な
世界日系人協会の力で日本の政治家を動かして
見捨てられている数少ない海外の被爆者を助けて下さい。
お願いします。        
  
  米国原爆被爆者協会               
  名誉会長  岩本完二


この嘆願書は2000年5月、東京で行われた
第41回世界日系人大会で取り上げられたものである。


バンクーバー“パウエル祭“


当地でもバンクーバー日報の武田冴子社長が北原の
次期衆議院選挙出馬の意向を歓迎し協力を快諾してくれた。
ここバンクーバーは、日本との
「ワーキングホリデー制度」(1年間働きながら勉強出来る)
があるため、日本からの若者が大勢やって来ている。
同新聞社もそれらの若者がバイトで仕事をしている。
「新聞編集もホームページなども若い人たちの
新しい感覚でパソコンを駆使しているのでとても助かります」
と武田社長。
同紙は広告欄に仕事紹介のページが沢山ある。
日本から来た若者たちが現地で仕事を探すために
新しい読者になると言うわけだ。
60歳前だろうか、小柄な身体ながらエネルギッシュに
飛び回る武田社長は反骨精神の固まりのような人だ。
「現地のチャイニーズの広告代金の取り立てが
一番むずかしいですよ。ほとんどの人が何だかんだ
文句をつけて払いませんからね。彼等を見ていると
南京大虐殺なんてホントカネ?と疑問に思いますよ」
と首をひねる。
同紙は構造的不況業種と言われる海外日系新聞の中では、
数少ない元気のいい新聞社である。
購読者が次々高齢化して後続の新しい日本人が来ない
南米の北原から見れば誠に羨ましい限りだ。
南米でも日本とのワーキングホリデー制度を導入したいと
北原はつくづく思った。

ここで北原は元パラグアイ移住者の松本家族と
十数年ぶりに再会した。 松本家族は十数年前、
パラグアイから日本に1家全員引き上げて郷里四国で
スーパーを経営していた。
松本の年老いた両親が亡くなったのを契機に
たまたま旅行で訪れたバンクーバーがすっかり気に入って、
スーパーを売り払いまたしても一家あげて
バンクーバーに再移住したという人だ。
バンクーバーでは日本食レストランをやっている。
「ここは素晴らしい所ですよ」
とバンクーバーの生活を堪能している夫妻に北原は、
何故日本から再移住したのか聞いてみた。
「田舎の姻戚関係がすっかり煩わしくなりましてね」
北原も何となく分かる気がした。
一旦、日本から根っこを引っこ抜くと世界中
どこでも生活出来る。
その最初の根っこを抜くのが大変なのだ。
地縁血縁様々なしがらみから解放されて見知らぬ外国で
生活すると、日本の特に田舎のねっとりまつわり
つくような人間関係は我慢出来ないものだ。
北原も今さら日本で生活出来ないだろう。
ーと思いながら国政選挙に出ようというのだから
矛盾も甚だしい、と苦笑いした。

戦前、カナダを目指した日本人移住者たちは、
まず、太平洋岸のバンクーバーに上陸の第一歩を記した。
8月4日、5日の2日間、戦前日本人の
中心地オッペンハイマー公園で日本人祭り
「パウエル祭」が開催された。
パウエルとはその公園に面した通りの名前である。
移民100周年を契機に2世たちが中心になって
始めたこの祭りは今年で25年になる。
北原もその公園に出かけた。たこ焼き、焼そば、
イカ焼き、トウモロコシ…と祭りの定番が各屋台に
そろっている。中央広場では落ちくぼんだ目を
より怒らせてカナダ人の古武道師範が
柔術の演舞を行っている。居合い抜き、少林寺拳法などの
演舞が次々披露される。 殆どが青い目のカナダ人だ。
この2日間、煙るような霧雨が降った。
残念ながらこの旧日本人街には今、日本人は住んでいない。
今ではこの周辺も段々スラム化し、残っているのは、
仏教会の西本願寺、それに日本語学校だ。
この日本語学校も過去、何度もさびれたこの地から
他に移転の話が何度もあったようである。
しかし、敢てこの地に学校を存続させた。
そのわけを聞いた北原に日本語学校の責任者は
次の様に語った。
「戦前からの大勢の卒業生たちが、カナダ中にいます。
卒業生たちの学校の思い出はこのオッペンハイマーの
日本人街とともにあるのです。カナダの日本人たちも
あの大戦中、アメリカと同じように財産を没収され
強制収容されました。そして青年たちはカナダに忠誠を
誓って対日本との戦いに立ち上がり、カナダ兵士として
戦場に赴いたのです。この学校にはその貴重な重い歴史が
刻み込まれています。学校がよその地に移転したら
次の世代に伝える何ものも消えてしまうのです」

パウエル祭の前日、北原は武田社長に連れられて
オッペンハイマー公園隣の仏教会を訪ねた。
境内では明日の祭りの準備に門徒の人たちが
忙しく働いていた。
ここの住職はバンクーバー歴30余年だという。
北原は武田社長とともに薄暗いお堂に案内された。
来意を告げて如何に今の日本がだらしないか、
海外の日系人、日本人の人権が無視されているかを
説明した。住職も昨今の日本のありように
一言あるようで大いに賛同した。
「日本の救世主になるかも知れませんね…」
ポツリと住職は呟いた。
その言葉に北原も今さらながら身が引き締まった。
記帳を促されて北原は黒々と筆に墨をつけて
「パラグアイ国 北原次郎」と書いた。

国や街にはそれぞれ独特の匂いというか風合いがある。
そしてそこに暮らす人たちもその土地の色合いに
染まっていくようだ。1世移民たちの後を継いだ2世、
3世たちは欧米人たちの中で劣等感、優越感などを
ないまぜにしながら必死に自分達のルーツを探り
やがて納得して「日本」という伝統文化の中に
密かな誇りを見出していく。

「棄民かと嘆きし父の仏壇に 在外選挙の登録証を供う」

どこの国の移民も悲しい匂いが染み付いている。
これは岐阜県県知事賞を受賞したブラジル在住の
寺尾芳子さんの歌だ。

アルゼンチンのブエノスからサンパウロ、ニューヨーク、
サンフランシスコ、バンクーバーと無数の移民たちの
様々な思いがズシリと北原の肩にのしかかり
重い旅となった。
ここバンクーバーで10月18日から21日まで、
北原が会長を務めている世界日系新聞協会の
第28回新聞大会の開催が予定されている。
今回の訪問はその下準備を兼ねてもいた。



ロス 寺岡夫妻との再会



つかみどころのない大都会ロス。ここではリトル東京に
隣接する日本の代表的なホテルに泊まった。
深夜到着した北原は部屋のチャンネルを次々回した。
ーと、なんとエロもエロ、無修正のアダルトビデオが
もろに放映されている。 日本女性の乱交プレー、白人、
黒人、何でもありのエロビデオ。
北原も男だから普通は喜んで観るのだが、この時は
旅の疲れもあり精神的に落ち込んでいた。
汚ならしさを感じて気分が一気に萎えた。
日本のビジネスホテルでもアダルトビデオは観る事は出来る。
但し、普通一般のチャンネルとは別に料金を払って観る
システムになっている。
それをここでは一般チャンネルをカチャカチャ回すだけで
アダルトビデオを観る事が出来るのだ。
宿泊客の中には子供連れの客もいる筈だ。
日本の代表的なホテルも地におちたものだ。

ここロスには、「ノアの方舟」ならぬ泥舟に乗って
パラグアイのイパカライファームで一緒に暮らした
寺岡和人夫妻が住んでいる。
夫人の佳津子さんが「まぁまぁばぁちゃん」の娘である。
主人は北原より7、8歳年下の建築設計士だ。
夫妻は当時、3、4歳の可愛い由利ちゃんを連れて
東京からイパカライファームにやって来た。
寺岡夫妻はファームが崩壊して間もなく
アメリカに再移住した。
今では当地で建築設計事務所を開き、日本向けに
ツーバイフォーの建築資材を輸出するとともに、
日本国内で実際にツーバイフォーの建築も手掛けており
事業も順調のようだ。
北原は寺岡夫妻と一夜、夕食を一緒にした。
案内されたのは、リトル東京に隣接した寿司屋だった。
えらく繁盛している店で、暫く待たされた。
客のほとんどがアメリカ人だ。彼等がカウンターで
寿司をつまみワイワイガヤガヤ飲み食いする様は、
全く日本の寿司屋と変わらない。
北原と寺岡夫妻とは8年振りの再会だった。
8年前、1993年2月26日、寺岡の家に泊まった
北原は、朝のテレビニュースでニューヨークの
世界貿易センタービルが爆破された衝撃的な映像を目にした。
あの時も言い知れぬ因果関係を感じた。
寿司屋での話は尽きなかった。当時の仲間の消息、
お互いの子供たちの事、あの幼かった由利ちゃんが
今秋結婚するという。

ロスで北原は初めてやや疲れを感じた。
胃がもたれるというか、食欲がなくなった。
これまでの人生の中でストレスなど一度も
味わったことがないのが北原の自慢だった。
今回の立候補宣言行脚も天命として愚直にどさ回りを
続けてきたが、初めてすべてが空しく思われた。
疲れているのかも知れない。
これが一般にいうストレスだろうか?
北原は25年前のパラグアイ移住以来、
ハイテンションのボルテージで今日迄突っ走って来たが、
こんな空しい気分、鬱状態になったことは1度もなかった。
ロスで表敬訪問する予定だった現地日系の有力者は
訪日中で会えなかった。
つかみ所のない大都会ロスでは何の収穫もなかった。



「どうぞ、お国で頑張って下さい」




ロスでの鬱状態は、東京に着いた途端、回復した。
8月10日、成田空港着。東京は猛暑が続いていたが、
北原が到着する前に雨が降り、雨上がりの清々しい空気が
北原を出迎えた。 日本でもどさ回りは続いた。
東京、京都、名古屋、熱海、福岡、沖縄、大分…
いろいろな人、団体幹部に会った。
北原は結構、1年に1回は訪日してはいるのだが、
じっくりと日本社会に接触するのは、25年ぶりの
浦島太郎である。
それぞれ然るべき紹介状を持って各界要人に
面会したのだが、所詮、島国日本は、慇懃無礼、建前社会…、
本音は見せない。
紹介状を持ってある党の総務局長に会った際、
「政治のことは我々に任せて下さい。どうぞ、
お国(パラグアイ)で頑張って下さい」とにべもなかった。
帰国子女たちが受けたであろう「拒絶感」を
何度も感じた。
よそ者を排除するという村社会の風習だ。
                      (続く)





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タグ : 新連載 第二の祖国で 日系オバマを

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