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2009.06.30 (Tue)

新連載  サンパウロからブエノス

18
サンパウロの夜空に飛び交う怒号






7月10日、アスンシオンを発って、サンパウロを訪れた。
北原の出身地である在伯大分県人会の役員会に出席し
「次期衆院選に立候補したい」と述べた後、
当県人会の山本副会長が北原を紹介するため挨拶に立った。
「………!」
山本副会長、立ったまま暫く声が出ない。
北原が見るとウッスラ涙を浮かべている。
感動で喉がつまって声が出ないようだ。
「北原さんはとても苦労した人なんです。
原始林に挑戦した初期開拓者たちや二世の様々な問題も
よく分かっている人です」
山本副会長は、北原の苦闘期、仕事の関係でアスンシオンに
4、5年滞在していたことから北原がパラグアイに
移住してきたいきさつもその後の経緯もよく知っていた。
北原も一瞬、目頭が熱くなった。
「大分には友人親戚も大勢いるから選挙の時は駆け付けるよ」
とブラジリアの日本大使館を退職して今は悠々自適の谷口氏…。

「最初話を聞いた時は気違い沙汰だと思ったよ」と
其邦字紙の岡崎デスク。
じっくり北原の話を聞いた後、
「いけると思うよ」と変わった。
「新聞社としてはドン・キホーテにはなれないんだよな」
と言いながらも
「北原氏はドン・キホーテになると言う。
彼の決意は『さて、お前たちはどうする…?』と
我々に突き付けられた刃である」
と自紙のコラムに書いた理論派の山中編集長。
幸いサンパウロでは地元の邦字紙ブラジル日報と
サンパウロ報知の社会面トップに
「北原氏次期衆院選に出馬表明」と大々的に報じた。
北原は、サンパウロでは地元日系社会の御三家たる
ブラジル日系人協会、ブラジル移住者協会、
ブラジル福祉協会をまず表敬訪問して立候補の
趣旨説明をした。
ついで沖縄を含む九州の各県人会を軒並み訪問。
ほとんどの県人会会長が積極的な支持を表明してくれた。
サンパウロ報知新聞社の入っているビルの7階を
後援会事務所として借りた。
選挙参謀には在外選挙実現に奔走してきた
元移住者協会会長の奥野弥太郎になってもらった。
奥野は昔の東映時代劇に登場する一徹者の古武士的な
雰囲気をもっている。
彼は在外選挙の動向に人一倍関心を持っており、
海外から名乗りを上げた場合の具体的な戦略を持っていた。
あまりに専門的な資料を持っているので思わず北原は
「奥野さんが立候補されたら如何ですか?」と聞いた。
「いや、私はブラジルに帰化していますので…」
ちょっぴり残念そうな気配が見られた。
日系社会に顔の広い事務局長も決まり、パソコン、電話、
机と用意し、半日勤務のアルバイト職員も雇う事にして
事務所オープンは8月1日とした。
北原は、これまで年に何回かサンパウロを訪れ
地元邦字新聞社記者たちとも顔なじみになっていた。
記者、編集者、後援者たちとガルボンブエノの居酒屋で
酒を酌み交わしながらの旗揚げ雑談壮行会が行われた。

「公民党の公認、推薦が先決だ~!」
「どうせ通りゃしないんだから、無所属で立って
政府の外交政策、日系社会に対する無為無策を
ガンガン攻撃しろ!」
「移住者が立候補したって単なる変人、泡沫候補に
終わるんじゃないですか?」
「日本の無党派層の若者たちが目を向けるような
アピールが何か欲しいな」
「公民党の南米支部をサンパウロに作ろう!」
「高崎幹事長とは早稲田柔道部の先輩、
後輩のポン友だって言ってたな~、お前、
絶対に幹事長に紹介状を書けよ!」
「お前じゃ~迫力ないよ~、俺が立候補してやる~」
「ばかやろ~!」「てめぇ~!」
アルコールが回ってくると盃が宙を飛び交い、怒声、
罵倒、取っ組み合いの大狂乱となった。
日系のオカミは目をつり上げ、ブラジル人女店員は
「他の客に迷惑だから出ていってよ~!」
「警察を呼ぶわよ~!」と
金切り声を上げて散々な壮行会となった。


パッションと憂愁の街ブエノスアイレス 


北原がサンパウロを7月18日午後18時の便で
発ってアルゼンチンのブエノスへ着いたのは、
夜21時半だった。
空港の外は寒風が吹いていた。
外でタクシーを待つ間、冷たい南の風が顔や首筋に
突き刺さる。
サンパウロは猥雑な活気がある街だが、
ブエノスアイレスは、南米のパリと言われただけあって
気障でクールなパッションが漲っている。
北原はブエノスには何度も来ているが、来る度に男心を
くすぐるラ・クンパルシータやエル・チョクロ、
ジーラジーラ、カミニートなどのアルゼンチンタンゴの
旋律が身体の内側から蘇り胸が妖しく高鳴る。
恋のためなら命を捨ててもいい、理想のためなら
生命を賭して戦う、という狂気にも似た熱いラテンの血が
暗く淀む憂愁の街ブエノス市内のホテルへタクシーで
向かった。

アルゼンチンで初期移住者の受け入れ業務を行ったのは、
アルゼンチン拓殖組合という団体だった。
その後、移住業務は、世界協力事業団に受け継がれた。
翌夜、その拓殖組合の高田会長が理事を集めて北原の
歓迎会を催した。
高田会長にはサンパウロの関係者から
「北原氏が訪問します。訪問目的は本人から聞いて下さい」
という簡略過ぎるFAXが届いていた。
高田会長は詳しい事は分からないながらも理事を召集した。
北原は、日本で最大のNGO団体である世界緑化協会の
パラグアイ総局の会長をしていた。
このNGOは、30数年にわたりアジア、オセアニアを
中心にマングローブの植林をしたり、農業指導を行っていた。
南米ではブラジル、ウルグアイ、パラグアイに
世界緑化協会インターナショナル総局が数年前に次々出来た。
南米に総局が出来たことで世界緑化協会は、
世界のNGOをランク付けしている国連の関係部局の
カテゴリーAに認定された。
カテゴリーAに認定されている代表的な国際NGOに
赤十字がある。アジアでカテゴリーAになったのは
同協会が初めてだった。
世界緑化協会インターナショナルのそれぞれの総局は
独立採算制で本部からの支援は何もなく各総局が独自に
会員を集めてプロジェクトを計画して活動を進めている。
アルゼンチンでは、このアルゼンチン拓殖組合が
同協会アルゼンチン総局の役割を果たしている。

10数人の錚々たる理事が集まった席で紹介された
北原は、「実は、海外日系人を代表して次の衆議院選挙に
出ようと考えています」
「ん……?」
一瞬、沈黙が場を覆った。
あまりに常識外の発言だったので思考が混乱した様子だった。
北原はなぜ日本の国政選挙に出馬を決意したかという
経緯を説明した。
「日本の人々は全く海外日本人の現状を知らな過ぎる」
「この南米には百数十万もの日本人移民が営々として
築いたそれぞれの土地に日の丸の旗がひらめいている。
これら百数十万もの日系人がかち取ったこれらの土地は
戦車や大砲で奪ったものではない。日本政府は彼等の
心の中にはためいている日の丸を知っているのか!」
「世界中に300万人を超える日系人のパワーと
各国に於ける日系人のステイタスを日本はもっと活用すべきだ」
「やがて来るであろう食糧危機を救うのは世界の
食糧基地南米である。食糧自給率が先進国で最低の日本は
もっと南米の重要性を認識すべきだ」
北原は滔々と自論を披露した。
やがて歓迎会はすき焼きパーティーに代わった。
飲んで食べる内に場も盛り上がり
「積極的に応援しますよ」
「最近の日本はどうなっているのか、情けない」
「海外日本人パワーで日本を叩き直せ!」
「世界日系人連合会を作って日本にプレッシャーを
かけよう!」とブエノスの夜に怪気炎が燃え上がった。

翌日、アルゼンチン報知新聞社を訪ねた北原は、
金城社長と赤城編集長と昼食を共にした。
食事をしながら来意を告げると二人は目を輝かせた。
「いや、ここでも在亜日系有権者会というのがあり、
選挙登録の呼びかけや投票に行くように
啓蒙しているのですが、
『誰に投票していいか分からないし、手続きも面倒だから
棄権する』という人も出ており、我々の運動も暗礁に
乗り上げていたんですよ」
「それはいい、担ぐお神輿が出来てもう一度啓蒙運動に
弾みがつく。平田会長に会ってもらいましょう」
在亜日系有権者会の総務担当理事をやっている
赤城編集長は大喜びをした。
この赤城編集長は、拓大OBで現地ラジオやテレビ等の
コメンテーターとして、また俳優もやっており、
アルゼンチンの映画は勿論、ハリウッド映画にも
ちょくちょく出ている。先般もアンデスの山麓で行われた
チベットを舞台にした映画でチベットの高僧役で出ている。
多彩な熱血漢で現地社会でも名前を知られた人物である。
年齢はもう70歳はとっくに過ぎている筈だがまだまだ
枯れる気配は微塵もない。
毎日アルゼンチン報知の社説に健筆を奮っている。
何でもその事務局は新聞社に置いているとのことだった。
在亜日系有権者会の平田会長は在亜叙勲者会の会長も
務めているアルゼンチン日系社会の長老である。
早速、北原が宿泊しているホテルで会うことになった。
赤城編集長に伴われて来た平田会長は、話を聞くと
「積極的に応援しますよ」と明言した。
同夜は何でもブエノスで開催されるNHKのど自慢大会の
打ち合わせが沖縄県連会館で在亜日系団体連合会の
打ち合わせがあるということで北原は赤城編集長と一緒に
その会合に出た。
寒い夜だった。
会館には既に関係者が2、30人集まっていた。
在亜日系団体連合会の太田会長の許可を得て北原は
参会者に国政選挙出馬の趣旨を手短かに説明した。
大きくうなずく人々を見て北原は確かな手応えを感じた。



ニューヨーク “パンアメリカン日系人大会”



「第11回パンアメリカン日系人大会」が、
7月25日~28日の4日間、ニューヨークの
マンハッタン、ルーズベルトホテルの大会議場と
小会議場で開催された。
パラグアイから北原を含めて17名が出席した。
この大会は北米、中南米の各分野で活躍する二世、
三世のリーダーたちが日系人としてのルーツの確認、
情報交換、結束を呼びかけて始まった。
第1回大会でメキシコのロベルト・橋本氏が会長になった。
同会長は 「居住国の良き市民になろう」
という大会スローガンを提唱し採決された。
本大会は3年ごとに開催国持ち回りで行われてきた。
本大会には、カナダ、北米、中南米、日本から
約400名が参加して「過去を思い起こして
より良い未来を築こう」との大会スローガンの下、
「貿易ビジネス」「日系人問題」「開発プロジェクト」
「医学」の各部門ごとに分科会が行われた。
大会前夜には、「ハドソン河夕陽観賞クルージング」
が行われライトアップされた自由の女神やマンハッタンの
超高層ビル群を心ゆくまで観賞した。
この40数日後の9月11日に、
あの世界貿易センタービルが、木っ端微塵に
破壊されるなど誰が想像出来ただろうか?
この時、ニューヨークは、まだ平和な我が世の春を
謳歌していた。
27日、ニューヨーク在の日本企業代表者で
構成されている「ジャパンクラブ」から代表者のみ
昼食のご招待を受けた。
日本を代表する有名企業の現地トップたちがズラリ居並ぶ
中で昼食懇談会が開かれた。
さすが、ニューヨーク、日本の懐石弁当に引けをとらぬ
立派な弁当が北原たちの前に並べられた。
昼食の前に簡単な挨拶交換があり食事となり、その後、
コーヒータイムで質疑応答が行われた。
最初は差し障りのない経済情勢等についての応答が行われた。
やがてメキシコのロベルト・橋本会長の妹、
マルガリータ・橋本さんが手を上げた。
司会の川田さんが、
「この人はメキシコの田中眞紀子と言われています」
と紹介して皆をどっと笑わせた。
メキシコの眞紀子さんの質問はさすが辛辣だった。
「こちらに進出している日本企業はなぜ優秀な
日系二世三世を抜てきしてリーダーに
取り立てないのですか?」
「いや、どうぞ…」
「いやいや、あなたから答えて下さい」と、
誰がこの回答をするかでもめるジャパンクラブのお歴々…。
「我々日本企業としてはものの考え方や経営理念等で
日本文化をしっかり理解しておられる方でないと……」
何とも歯切れの悪い回答だった。
カチンときた北原が手を挙げた。
「各国の日系人二世、三世には優秀な人材が
輩出しているのに彼等を昇進させないから、
優秀な日系のエリートたちは、アメリカ企業やドイツ、
イタリア企業に就職している。これは日本の進出企業に
とっても日本国内の企業にとっても大変な人材流出です。
そういった日本の閉鎖性を改めない限り日本の飛躍は
ありません。在外選挙権然り、在外原爆被爆者問題然り、
それらの問題を打破したいと思って私は海外日本人を
代表して次期国政選挙に名乗りを上げようと
準備をしています」。
「……」
一瞬、ジャパンクラブの席上にシラ~とした空気が流れた。
昼食会終了後、各社のトップに北原は名刺交換を求めたが、
「いや、名刺をきらせまして……」と逃げる人が2、3名。
北原も(なにも資金カンパなど要求しないよ。バ~カ!)
と苦笑した。
「連中、欧米人には卑屈な位ペコペコするくせに
日系人に対しては、実に横柄なんですよ。
北原さんがガツンとかましてくれたので
スーっとしましたよ」と、国際機関に数十年勤務している
パラグアイの日系二世の川田が帰り際、
そっと北原に語りかけてきた。



サンフランシスコ「海外の被爆者を…」



7月29日、北原はニューヨークから
サンフランシスコに飛んだ。
ケネディ空港の機内で待ちぼうけを食う事4時間。
(アメリカもひどいもんだ) ニューヨーク~
サンフランシスコ6時間。
空港には北米日々新聞社の山本社長が北原を
迎えに来ていた。
サンフランシスコには半世紀以上の歴史を持つ
北米日々新聞社と日米報知社という邦字紙が2社ある。
どちらもいわゆる戦前の移民を対象にスタートした
邦字紙で激変する日系社会の木鐸として米国社会の
抑圧と偏見に敢然と戦った輝かしい実績を誇っている。
当時の新聞人の気骨たるやまさに火を吹くばかりで
多くの名物記者、編集者を輩出している。
しかしながら、時代の変遷に伴い一世は次々世を去り、
日本語を読める二世の購読者も高齢化して行く中で
2社とも厳しい経営を強いられている。
北米日々新聞社の山本社長は前社長の辞任に伴い
数年前、就任したもので本職は西本願寺の開教使である。
日本からの移民はいわゆる元年移民といわれる
ハワイの明治元年の移民が発端となっており、
多くの移民と共に西本願寺の開教使たちも海を
渡ってアメリカへ来た。

70代の山本社長は、如何にもお経と説法が似合う
穏やかな人格者である。
同氏は開教使のかたわらロスの邦字紙、加州タイムスに
軽妙なコラムを長年にわたり掲載しており、
移民の哀感を織りまぜた同コラムは多くのフアンを
持っている。 霧が立ちこめるサンフランシスコは
多くのアメリカ映画の舞台になっており若い女性が
最も憧れる街であろう。
事実、街には短期、長期の留学や観光に訪れた日本女性が
目立つ。両邦字紙ともその手の若い日本女性の
アルバイトが多く働いている。
何も取り立てて有名な観光地もない南米のド田舎
パラグアイの北原としては、若い女性が生き生きと
働いている様子はため息が出る程、羨ましい限りだった。
両社の社長や編集者たちに誘われてカラオケに行った
北原は切ない気持ちを込めて「想い出のサンフランシスコ」
を熱唱した。
北原にとって当地は3度目だった。
ホテルはジャパンタウン前の都ホテルに宿泊した。
こじんまりしたいいホテルだ。
何より目の前に日本レストラン、店が立ち並ぶ
ジャパンタウンが控えているのがいい。
山本社長の案内で当地の日系有力者を表敬訪問して
出馬の趣旨を説明し、協力を求めた。
その中の一人に岩本完二さんがいる。
岩本さんは、北加日米会会長、米国原爆被爆者協会名誉会長だ。
                        (続く)





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