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2009.06.27 (Sat)

新連載 16  霊夢

16  霊夢




風変わりな人物が出入りするばぁちゃんの家




1週間に及ぶ筏ツアーは北原にとって格好のリフレッシュになった。
ピラールからアスンシオンに戻った北原は、
心身共に精力が漲っているのを感じた。
「さすがピラニアは効くなぁ~」
と編集長の宮崎に言うと
「ピラニアは最高の精力剤なんですよ」と宮崎。
確かに1週間、ピラニアと焼き肉を食べ続けたことと、
大自然の中の生活というダブル効果でよりパワフルになったのだろう。
筏生活にすっかり味を占めた北原は、次はパラグアイ北部のブラジルとの
国境沿いを流れるリオ・アパのツアーをしてみたいと考えた。

筏ツアーから帰った北原は、ある夜、奇妙な霊夢をみた。
それは普段見る夢と全く異なる夢だった。
夢の中でこれは「霊夢」だとリアリティーを持って自覚していた。
北原が東京の銀座のど真ん中で
「俺は政治家になって日本の国会を牛耳るぞ~!」
と絶叫しているものだった。
不思議な事にその銀座の街は全くの無人、無機質な街だった。
この夢はいつまでもリアリティーを持って北原の心の中に
刻み込まれていた。

イパカライファームの仲間、イルカは1年前、
また、大学生活を続けるために日本に帰った。
編集長の宮崎はイルカが辞めた後、南米ジャーナルに入社した。
パラグアイには彼が高校生の時、家族と共にペドロフアンに
移住してきた。
農協職員や日本の大手商社の現地社員として働いた後、
「働かせてほしい」と北原を訪ねてきた。
何でも父親が日本の新聞社で働いていたことがあるそうで、
ジャーナリスト的なセンスは持っていた。
宮崎は、北原より5歳年下の38歳だった。

イパカライファームの仲間は殆どが日本に引き上げ、
残っているのは、北原家族と深田兄弟だけだった。
深田兄はアスンシオン日本文化協会の日本語学校の校長をし、
弟は教師をしていた。
どちらもエリートだから関係者の評判は良かった。
新聞社は相変わらず綱渡り的な経営が続いていたが、
日々たくましさを増してきた優子が経営する日本品を扱う雑貨店
「カサハポン」で日銭が入るので大助かりだった。
カサハポンでは、日本の書籍や日本のテレビ番組を収録した
ビデオテープなどの貸し出しも行っていた。
これらの日本関連の商品は、日本から直接仕入れるのでなく
サンパウロの卸屋から仕入れていた。
このため北原は月に1度、サンパウロに赴いて本やテープ、
日本食品などを仕入れていた。
サンパウロにはレンタルビデオ屋が大繁盛だった。
仕入れで問題は、ブラジルとパラグアイの国境に
ある税関の検問所だった。
特にビデオテープのコピーしたテープについては決まった税額等
あるはずもなく税管では殆ど担当官の気分によって
その税額(ワイロ)が決められた。このため、北原は、
かつぎ屋的なことをやらざるを得なかった。
パラグアイ側の国境の街はストロエスネル市と大統領の名前を
つけたフリーポートの街だった。
この猥雑な街で1日に動く金は、香港、マイアミにつぐ
3番目だと言われる程、巨額の金が渦巻いている。
ストロエスネル市の商店街はブラジルからのいわゆる、
かつぎ屋たちでひしめいていた。ブラジル側の国境の街、
フオス・ド・イグアス市との間にはパラナ側が流れており、
両国を結ぶ友情の橋は日中、人と車であふれている。
この橋は3月、4月の大豆収穫期には大豆を満載した
大型トラックが両側車線に隙間無く渋滞しており、
よくもこの橋が持ちこたえているな、と感心する程だった。
時にブラジルのかつぎ屋たちは橋上から完全防水した商品を
下の河に放りこんだ。それらの商品をブラジル側の仲間が
下流で受け取るという離れ業をやっていた。
北原はアスンシオンとサンパウロ間、約18時間をいつも
国際長距離バスで往復した。
サンパウロで仕入れたテープを一旦、フォスの街で降ろし、
両市を結ぶ定期バスに乗り換えて橋を渡ってストロエスネルで
降りてまた、アスンシオンまでの長距離バスに乗り換える
という面倒なことを行った。
ーというのは、両市を結ぶ定期バスは大体フリーパスで検問の
煩わしさがなかった。
それでも時々、検査官が乗り込んで乗客をチェックする
事があった。さすがにその時は冷や汗ものだった。
そんな綱渡り的な経営をしながらも南米ジャーナルは1度も
休むことなく新聞発行を続けた。


当時、毎年10月上旬、東京で海外在住の日系人が集まって
様々な問題を討議する世界日系人大会というのが行われていた。
北原は、初めてその大会に参加した。
これは外務省の外郭団体である(財)世界日系人協会が
毎年開催しているもので、各国の現況報告や日本語教育、
在外被爆者問題、老人福祉問題、二重国籍問題など多岐に
わたって討議を行い、それらの討議事項を関係官庁に
「要望書」として送付していた。
大会は、事務局があらかじめ各国の日本人会や文化協会など
主要団体宛に文書を送り、それぞれの団体で発言すべき
テーマがあれば代表者を決めてもらって参加することに
なっていた。
大会には海外20数カ国の代表者と一般参加者200~
300人が出席して盛大に行なわれた。
大会自体は議論百出して活発だったが、どうしても総花的な
まとめの「要望書」になった。
北原は、初めて世界各国の日系人社会の現況を知ると同時に
人的ネットワークが広がるきっかけとなり有意義な
大会ではあった。
北原は大会が終わると、パラグアイから日本に帰国した、
まぁまぁばあちゃんこと小島登美と公洋夫妻の経堂の家に
泊めてもらった。


小島夫妻は、ノアの方舟でパラグアイ移住する時、
この経堂の家は売らずに残していた。
この家の管理は、小嶋公洋の指圧の弟子である森義男が
ずーっと住み込んで守ってきた。
家は二階建てで土地はガレージを入れて30坪程度と小さな
ものだったが、小田急線の経堂駅から歩いて5分と非常に
近く便利だった。
この森が風変わりな人物で、この家の地下に自分で地下室を造り
寝泊まりし瞑想に耽ったりしていた。
何でも20代の頃、アメリカやインドをヒッチハイクで回り、
インドで「ガラリ人生観が変わった」そうだ。

まぁまぁばあちゃん宅は、いつも風変わりな人物が出入りする
梁山泊の観を呈していた。 というのも、登美ばあちゃんが
不思議大好き宗教人間で一種、あの千乃女史も一目置いた
教祖的なソフトパワーの持ち主だったからである。
宗教といっても若い時にキリスト教教会で賛美歌などを
歌っていたことから仏教系はほとんどなく、
米国女優シャーリー・マクレーンのスピリチュアル新神秘思想や
古神道系がどちらかと言うと波長が合うようであった。
また、最近の新霊能者やUFOなどの宇宙神秘学系の
人たちともつきあいがあった。

その家に出入りする人物に愛媛大学の地質学の
万田光彦教授がいた。
まぁまぁばぁちゃんと北原は万田教授と以前、
イパカライファームで会ったことがある。
教授は南米大陸の地質の調査時、パラグアイにも立ち寄った。
「僕は文字どおり大地を這い回って調査してきましたが、
ここパラグアイは安定岩盤の上だから地震はありません」
と北原らに太鼓判を押した。
教授は日本を襲う巨大地震について様々な機会を通じて
警告を発していた。
小柄だががっちりした体躯の教授は一見すると
そのボサボサ髪などから道路工事の現場監督風に見える。
その体形に似て気質もまさに現場監督風のざっくばらんな
性格だった。
「阿修羅のような恐い顔に見えましたよ」
とまぁまぁばぁちゃんに初めて会った時の印象を
後に教授は告白した。
「この間の晩、金縛りにあいましてね~」
好んでこの手の話をする。
教授は“多次元科学”分野を個人的に研究しており
「生まれ変わりの実態」などという小冊子を出したりしていた。
その小冊子の中の「宇宙からの珠玉の言葉」の“地球の立て替え”
の項目にこんな言葉がある。


“地球に転生してきた ワンダラーたち”



ー金龍(創造の神の仲間)が黒龍(破壊の神の仲間)に
話していた。
「そろそろ、頼むー」と。神の国では、動き出したんだよ。
地球の進化は、破壊した後にやってくる。 たとえて言うと、
新しい住宅を建てるために古い住宅を壊すようなもの。
神様は、これから泣く泣くほとんどのものを取り払うんだ。
地球をきれいにするために 地球の神様に
「もう少し待ってください。せめて、もう少しの人間が
気づいてくれるまで、もう少し、待って下さい」
自然あっての人間なのに 大きな脳みそを自分の事だけにしか
使えなくなった人間 自然の神様が、ドッカーンと始めちゃうよ。
愚かな人間に教えるために 新しく生まれ変わるために
何かを消さないといけないんだ。
(中略)
この世で、上に上がればあがるほど ごめんなさいの数を
多くしないといけない。 みんなを踏み台にしているからー


とにかく不思議な人々が出入りする中でまぁまぁばぁちゃんは、
最近、言霊学の「ワードサイエンス」と「オイカイワタチ」という
コスモ・スピリチュアルに深く傾倒しているようだった。
「オイカイワタチ」というのは、何でも宇宙語でこの地球の
大変革期にある遊星から特別な使命を持って地球に転生してきた
「ワンダラー」たちに宇宙からのメッセージを伝える
グループである。
といっても他の宗教団体のように組織はなにもなかった。
愛知県春日井市に住むその主宰者は、
「組織はカルマを産みますから、魂で分かる人がそれぞれの
立場でインスピレーションに従って行動を起こせば
いいのです」と、個人個人の魂の自立を強調していた。
北原も組織化をしないと言う主義に「真実」がある様に
感じられて惹かれた。

北原は10月下旬、愛知県のその主宰者を訪れた。



金星に瑞兆 日本の終わりの時



愛知県春日井市の大海理工(株)の鈴木大樹社長を訪れたのは
10月27日であった。
当日は当会社の森田専務の自宅に泊めてもらった。
当宅で夕食の談笑中、ひっきりなしに森田専務に電話がかかった。
「こんなことも珍しい」と森田専務、鈴木社長共々微笑していた。
夕食後、ソフア-で歓談している時、当家の裏手、
東谷山(とこくにやま)の頂上にある由緒ある尾張戸神社が
話題にのぼった。
当神社まで歩いて30~40分程度だということで、翌朝、
朝食前の腹ごなしに鈴木社長と二人で6時半に落ち合って
出発することにし、用意されたフカフカふとんで眠りについた。
翌朝、森田専務のトレパンを拝借し、家を出た。
裏手のNHKグランドの金網わきの細い道を通り抜け、
10分程で尾張戸神社表参道入り口にさしかかった。

専門家の話によると、当神社は名古屋の熱田神宮より
1000年単位古い起原を持つ神社だという。
しかし、社会的、歴史的権威のある熱田神宮の
名声をくつがえすのも社会的影響が大きいとして
一部の人々の間でのみ知られている事実である、
ということであった。
この表参道入り口前に奇妙な鳥居があり、中は玉砂利が
しきつめられ、神社と慰霊碑らしきものが設置されていた。
奇妙な鳥居、と言ったのは、普通の鳥居の上に×印に木が
組み合わされ、その三角のワク組の中にダビデの星のマークが
刻み込まれていた。
皇室とユダヤの不思議な奇縁は好事家の間で昔から
秘かな話題になっていた。
尾張戸神社の参道を入ると、大雨にえぐられた
人頭大の石があちこちで露出していた。
道中、先程の東谷奇玉陵(とこくにくしたまりょう)のことを
鈴木社長に尋ねると、これを造営したのは天祖光教という
宗教団体で同教の教祖蔽顔大教主(明治43年生まれ、
昭和44年没)がこの霊格の高い尾張戸神社を守護するため、
当地に本部を設け、神示を垂れた、ということである。

その教祖曰く、この尾張の国とは、「おわり」の国の意
であるとし、
この尾張戸神社は、この世の終わりの時代の戸を開く実に
重要な神社で、天祖光教は、この尾張戸神社の最後の時の戸が
開かれるまで御守護申し上げるために、当地に開教し、
また、教祖死して後にも教祖の意を体して、
表参道入り口前に奥津城を造営したという。
なお、教祖の説くところでは、「終わりの戸が開かれるとは」
(霊的な意味)、即ち、新時代の幕開けとなることであり、
実に喜ばしいことであるという。
同教団は、教祖亡き後、高弟が護持しているという。
鈴木社長は同宗教と何の関係もないのだが、
宗教関係に造詣の深い氏だけに同教の由来にも詳しかった。
参道は途中からかなり急勾配になってきた。
60年配の鈴木社長を気づかって、途中、
「休みませんか?」と聞いたのだが、いやいや、大丈夫」
となかなか達者な足をお持ちのようだった。
いよいよ頂上が近付いたらしく石段のある所にでた。
その石段を上り詰めると、頂上の台地に尾張戸神社があった。
それは思ったより小さく質素な神社だった。
折しも明け染めた朝日がまばゆい陽光をきらめかせて
同神社周辺を踊っていた。
正面参拝所に参拝者用ノートがペンとともに置かれている。
記載しようとそのノートを開いた鈴木社長は、
じっと食い入るように見つめていた。
やがて北原にも見るように促し、そのノートを渡してくれた。
そこにはこう書かれていた。

”10月28日、午前零時、金星の辰巳の方角に
5色の彩色がかかる瑞兆をみて日本の終わりの時を見た”
 吉田某ー。

これを見て、北原は昨夜からの予感が的中したな、
との安堵感にも似た感慨がしみわたるように全身に広がった。
「この人は天祖光教の幹部ですね」
と鈴木社長が押し殺したような声で言った。
「さあ、どうぞ」と促されて、その文字の下に
“1983年10月28日、
パラグアイ国アスンシオン市北原次郎”とゆっくりと書いた。
柏手を打って深々と頭を垂れ黙とうを捧げた時、
眼底にありありとある風景が浮かんだ。
全身を戦慄にも似た深い感動が襲い、
体が小刻みにふるえるかのようであった。



今は鳴くらむ うぐいすの声


神社の右手に行くと古墳の一部であるテーブルストーン
(天井石)がある。
その傍らに案内版があり、その説明書によると
山頂からふもと迄数十基の古墳が発見されているが、
その多くは盗掘されたりして重要なものは残されていない
ということであった。
そこを更に東端に行くと一気に高蔵寺ニュータウンが
パノラマ状に望見できた。
山肌をえぐりとって開かれた団地の右手にこんもりとした
小高い山が見えた。
この盆地の底にあるようなやわらかなシルエットをもった
これらの風景は、なぜか言い様のない懐かしさをもって
北原に迫ってきた。
その時、ふっと次のような万葉の古歌が頭に浮かんだ。

”あおによし 奈良の都にたなびける 天の白雲 みれど飽かぬかも”

まさに、「あ、ここは、私のふるさとだ」という奇妙な感慨に
包まれたのだった。

「あの右手の小高い山が高蔵山です。
昔は高倉山と呼ばれていたそうです」との渡辺社長の言葉に
頭のてっぺんからしとどに涙あふれ身体のすみずみまで
濡らしていくかのような情動に突き動かされた。

参拝の帰途、山頂での不思議な”しるし”の重みを
じっとかみしめ、黙々と下山していると、
「あれ、うぐいすが鳴いていますよ!」
との鈴木社長の声にハッと気付くと、なるほど、秋にも関らず、
うぐいすがホーホケキョ!と2声3声澄んだ音色で鳴いていた。

”尾張戸のかむごとすみて 空さやに
       今は鳴くらむ うぐいすの声”

時はまさに日本の晩秋であった。
                        (続く)









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タグ : 新連載 第二の祖国に 日系オバマを

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