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2009.06.24 (Wed)

新連載 13  筏ツアー「ドン・ペドロ号漂流記」

13
筏ツアー「ドン・ペドロ号漂流記」



ピラニアの刺身


3月に入ったある日、エンカルナシオンで電気店を
経営している中尾から北原に電話が入った。  
「筏を作ったんですよ」  
「えっ?いかだって丸太を組み合わせたあの筏ですか?」  
「ええ、その筏でテビクァリ河の川下りを今度やりますから
北原さんも良かったら一緒に如何ですか?」との河下りツアーの
お誘いを受けた。
 ビリャ・フロリダを下ってピラールまで3~4日かけて
下ると言う。
その町は、アスンシオンからアルゼンチンとの国境の街
エンカルナシオン市をつなぐ国際道路1号線の
途中180㎞の所にある。
ビリャ・フロリダの川辺はサマーキャンプ地として夏期、
大勢のバカンス客で賑わう。
 筏下りはパラグアイの夏も終わろうかという3月27日、
ビリャ・フロリダの橋のたもとから出発することになった。
「馬には乗ってみよ。人には添うてみよ」の格言をモットーと
している北原は優子を伴って勇躍、筏ツアーに参加した。




セマーナサンタ(復活祭・イースター)を利用しての
3泊4日のこの筏ツアーは、翌28日には、実現不可能だと
早くも判明した。
ドラム缶18本を組んだ筏(5m×9m)は、
デカ過ぎる上に川の流れが予想外に緩やか過ぎた。  
目的地となっているピラールは、アスンシオンから南西に
約200㎞、パラグアイ川沿いのパ国最大の紡績工場が
ある所として有名だ。
このパラグアイ川は大河ラ・プラタ河となって
ブエノスアイレスに通じている。
一行が筏下りをしているテビクァリ川はクネクネと蛇行して
ピラールから40㎞上流のパラグアイ川に合流する。

「地図上で計算するとフロリダからピラールまで
大体250㎞位だと思うんですがね」とは、
一行に参加を呼びかけた時の学船長の言葉だ。

その距離が大体正しいとしても筏のスピードの計測は
全く予測外れだった。
27日 午前9時5分、左岸を出発。
出発当初の乗員は12人だった。

30分後、最大の難所と言われた長さ50mにもおよぶ
岩礁地帯にさしかかる。
 アスンシオンから来た金持ちのボンボンがぶっ飛ばす
モーターボートが、その岩礁でスクリューを破損し、
他のボートで曳航されているのを見かけた。
 200m川幅の中央部分約40m程の水深が深く、
その左右から両岸まで岩礁があるという。
川面からそれらの岩は見えなかったが、
さざ波が立っていることからそれと分かる。
ボート上の学船長とルーベンの二人が慎重に筏を川の中央に
曳航する。筏に緊張が漲る。
幸い流れもそんなに強くないので筏のコントロールもうまくいく。
何とか50mの難所を乗り切る


しかし、流れが余りに遅く2、3日どころか、1週間以上
かかるのではないかと思われたため、翌2日目に早くも4人が
筏から降りた。

北原は、出発前、何となく予定より遅くなりそうな予感が
していたので自分の責任記事分だけは仕上げて編集長に
渡してきた。
新聞社も月曜日にはいろいろ支払いがあるので他の3人と一緒に
優子もその3人と一緒に帰したので後顧の憂いはなかった。
優子の恨めしそうな顔を岸辺に残して筏はゆっくりと動きだした。


4人が降りて 乗船者は学船長、後藤専門家夫妻、原田、山本定、
工藤武治、ルーベン(パ国人)、北原の8人。
筏にテントを張り、日陰を作る。これで筏の上も快適環境となる。
 原田漁労長が釣ったピラニアを料理長定やんが、
早速サシミにした。 味噌にレモン、にんにく、ショウガを
すって高地名産の味噌ダレを作る。
 「ク~ッ、うめ~ぇ!」  
「うひゃ~、効く~っ!」  
「シコシコとタイみたいな淡白な味でいけますな~!」
 「だろっ、だろっ!」
チョビひげの料理長定やんも大ニコニコ…。
昼食は後藤専門家夫人特製のカレーライス。  
「ウ~ム美味しい!」
 子供時代の遠足やキャンプなどで食べる食事は
美味しいものだが、ゆったりと流れる大河の筏上で
食べる味は格別だ。 ここらまでは、行き交うボートや左岸の
砂浜にテントを張ってキャンプする姿がチラホラ見受けられる。
フロリダ下流にこんなキャンプ最適地があるとは知らなかった。

 午後2時過ぎ学船長とルーベンの二人がボートで岸辺の
パ国人たちに下流の状況を聞きに行く。
「トレス・ボカ(3つの口、支流)があるそうですよ」と
帰ってきた学船長。 成程、1時間したら左岸から2つの支流、
右から1つの支流が流れ込んでいる所に出た。
 その下流、ちょっと左岸の砂浜にモーターボート2隻を
岸につないで、若者が4、5人、キャンプをしている。
学船長が再び彼等の所に情報収集に行く。
この間、筏は流れに任せて流れて行く。
やがて、ゆるやかなUカーブを描く左岸に砂浜が見えた。
北原は水泳パンツに着替えて筏からザブリと流れに飛び込んだ。
アマゾン等のヤラセ番組のようなピラニアの襲撃もないようだ。
砂浜迄泳いでいく。意外に浅い。
砂浜に上がり、Uカーブの下流まで歩いてみる。思った通り、
筏のスピードは歩くよりも大分遅い。
これじゃー、時間がかかるのもムリはないと納得。
 やがて学船長が帰って来た。 北原は川の中程迄行き、
筏の流れ具合に合わせて泳いで行こうとしたが、
筏のスピードが極端に遅く目測が外れる。
胸までつかってタイミングを図っていると
学船長がボートで迎えに来た。
報告によるとキャンプ中の彼等もこれより下流の状態に
ついては全く知らないという。  
夕方5時前、そろそろ日暮れが近い。
「ソーメンでも作ろうかしら…」
「よし、アサードの残りのチョリソ(ソーセージ)で
野菜炒めを作ってやろう」と後藤専門家夫人と料理長定やんが
ゴソゴソと腰を上げて夕食の準備に取りかかる。
 ユラユラとでっかい太陽が河辺の森影に沈んでいく。
ガスボンベにコンロ2つつないで調理する。
夏時間から冬時間に切り替わったので日没は早い。
 夕食は、昼食のアサードの残りのチョリソをフライパンに
放り込んで作った料理長定やんのスペシャル野菜炒めと
後藤夫人特製のソーメンだ。
午後、ずーっとボートで引っ張っていた学船長も筏に戻り、
缶ビールと缶ジュースで乾杯!


夜、ゆっくりと満天の星空を見上げる。
昼間の若者たちのキャンプ地を最後に人の気配は全く途絶える。
両岸に人家の灯火も何もない。
どうやら人跡未踏の領域に入ったようだ。
月の出は21、10分。 当夜は満月より3晩目、3分程度欠けた
月だが十分明るい。河の真ん中、本流に乗った筏の流れも順調だ。
学船長が後藤夫妻向けに2人用のテントを筏後部に張る。
22時40分、風が出てきた。昼張った陽よけ用のテントを外す。
饒舌な定やんもタバコをふかしながらボ~ッと星空を見上げている。
北原も定やんらと筏前部の折りたたみ椅子にドッカと座って
夜空を見上げる。言葉もでない。
大河の流れに浮かぶ木の葉のような筏を覆い尽くす原初の
大自然の圧倒的な迫力…。
宝石箱から無造作にばらまいたような大粒のダイヤモンドの饗宴…。
こんな華麗な星空を北原はこれまで見た事がなかった。

「南十字星はどれですかねぇ~?」と後藤さん。
「偽十字星があるんだよね」
傍らからルーベンが指をさして教える。
「そうそう、ホンモノが左で偽十字が右なんだよね」と定やん。
北原もパラグアイに来て以来、心穏やかに夜空を観賞するような
ことはなかったので、南十字星の正確な位置は知らなかった。
それにしても、すごい星々の大饗宴だ。


かぐや姫は宇宙人


「かぐや姫は宇宙人なんですよ」と、昔、誰かから聞いた
ことがあるが、満天の星の下、河をタプンタプン流れる筏上から
星空を眺めていると、(そうかも知れないナ…)と北原も
思えてきた。

1969年7月20日、宇宙船アポロ11号の
ニール・アームストロング船長が人類初の第一歩を印した。
当時、アメリカは、ソビエトとのミサイル競争により優位に
立つために有人月面着陸を是が非でも成功させねばならなかった。
月の征服は終わったと皆思っているが、実際は謎は謎を生み
NASA(米国航空宇宙局)が発表した情報量も不透明極まりない。
レインボー計画からアポロ計画終了時までに撮影された
月の写真は約14万枚。ところが、一般公開されたのは、
わずか約5000枚。何と3、5%に過ぎない。
また、宇宙飛行士と地上の管制センターとの交信記録の重要部分が
意図的にカットされている。そして通信チャンネルも極秘回線に
切り替えられたりしている。
これらの事実はNASAの元研究員の証言で明らかにされている。
そして「宇宙からの帰還」(立花隆著)にも触れられているように
彼等宇宙飛行士たちの帰還後のドラマチックな人生観の変容。
さらにアメリカとソ連の突然の月探査の中止も奇妙だ。
月の不思議さを具体的に上げてみると、
1、月は常に表側のみを地球に向けている。
(月の自転周期と公転周期の一致)。
2、月の大きさは太陽の400分の1、地球ー月間の距離は
地球ー太陽間の距離の400分の1。
3、月が地球の衛星としては大き過ぎる。
4、月の地震が鐘や銅鑼(どら)を叩いた時と同様の
振動パターンを描く等々…。


壮大なウソ


これらのことから、「月=人工天体説」
(ソ連の著名な天文学者ミカイル・ヴァシンと
アレクサンダー・シュシェルバコフ)という驚天動地の仮説も
出されている。 北原は、パラグアイ移住前、聖書や仏教書、
哲学書等とともにペルーのマチュピチュやインカ、マヤ遺跡など
世界の古代文明の謎やUFO関係の本等を渉猟していた。
その中で月面着陸の疑惑説を読んだことがある。
つまり、「宇宙飛行士が月面に立てた星条旗がはためいている」。
「撮影された月面上にコーラ瓶が転がっている」等々…。
当時から月面着陸はアメリカの砂漠で撮影したヤラセ説が
流布していた。
昨今、また、「月面着陸は嘘だった!」という説がテレビや
告発本などで再浮上している。
素朴な疑問として、あの着陸がホントだったとしたら、
今頃、月開発は素晴らしい発展を遂げているはずだが、
あれ以来、月探査は途絶えたままになっているのもオカシナ話だ。
北原は月面着陸は「ウソ」だったのではないか、
と直感的に思っている。
さらに、謎の宇宙飛行士と管制塔との空白のやりとりが
次のように再現された。
当時、アポロミッションは世界各国に生中継していたが、
その時に2分間の空白があった。NASAによると
生中継の際には電波の関係上により、 一度、オーストラリアの
アンテナで受信し、 その後、アメリカに送られたとために
生じた空白だ、という公表があった。
ところが、最近、その2分間の空白の中でどのような 会話が
なされていたのかオーストラリアの受信アンテナ は
このように録画していたことが判明した。

アームストロング宇宙飛行士:「なんだあれは」
NASA管制塔:「何が起こったんだ」
アームストロング宇宙飛行士:
「あの宇宙船のような物はなんだ…」
この件についてはノーコメントとさせていただきます…
(NASA正式発表)

ー05年3月29日、ロシアのプーチン大統領が定例記者会見で
記者から、ロシア国営放送RTRが前日(28日)放送した
仏アルテフランスのテレビ番組「オペラション・リュン」
(月の作戦・つまりアメリカのアポロ計画のウソを暴いた番組)
の感想を求められ、番組内容を否定しなかった。
(RTR Web版05年3月30日)
ウソは堂々と徹底的に主張し続けるといつのまにか
ホントっぽくなってくる。


その夜は、岸辺に停泊しないまま夜通し河を下っていった。
ーというのは、学船長が昼、情報収集に立ち寄った牧場で
「もうちょっと下流に行ったら水揚げ用パイプがある牧場に、
多分、燃料(モーターボート用)があるかも知れない」
という情報を仕入れていた。
「ナーニ、夕方迄には着くだろうよ」と言ったという
爺さん情報について、学船長は
「多少、ボケたような風にも見えたんですけど、
何しろこの河をしょっちゅう、行き来していると言うので
満更ウソとも思えないんですよね~」。
真っ赤に日焼けした丸い顔をほころばせて皆に説明した。

ピラールへの到着が大幅に狂ったことでモーターボートの
燃料を補充する必要に迫られた学船長は(もう着くだろう?)と
内心かなり焦っていたのだろう。
夕食後もルーベンと二人でボートに乗り筏を引っぱり続けている。
料理長定やんと北原は筏中央にごそごそと自分達の寝袋を作り
潜り込んだ。

「いい月やね~、こんな夜は格別タバコがうまいんよ」と、
筏前部の折り畳み椅子に深々と座り込んで武やんと原田漁労長が
ボソボソと話している。
いつの間にか北原は眠り込んだ。

「パレセ・ケ・エンセギーダ…」(多分、もうすぐだろう?)
と呪文の様に繰り返しつつ学船長とルーベンの二人は
朝迄ボートを引っ張った。

「ドーン!」と夜中、どこやらで響き渡る銃声も夢うつつ
朝迄熟睡した。
「夕方には着くよ」と爺さんの言った水揚げポンプ岸辺には
結局翌29日(土)朝5時半に着いた。
6時前には白々と明るくなりはじめる。
U字状に突き出た左岸の砂浜にキャンプをしている
テントが見える。 アスンシオンに住んでいるという父子が
ボートで近寄って来て話を交わす。
熱いコーヒーとパンの朝食。
右岸は5m程度の土手状となっており、
その上に牧場の管理人の家がある。
犬や猫が筏のアサード(焼き肉)の残りが気になると
みえて次々挨拶に訪れる。 学船長とルーベンが上陸する。
結局、そこには燃料はなかった。
後藤専門家が持参した無線機でピラールの事務所に連絡をとる。
「土曜日にはピラールに着く予定だったけど今日は着かない、
ということを伝えました。向こうの声は良く聞こえるんですが、
こちらの声が良く聞こえないみたいなんですよ」
ピラールにも南部地域農村開発計画プロジェクトの事務所がある。
結局、12時に再度交信することにした。

管理人やキャンプに来ている連中の話を総合すると、
ここはフロリダから5、60km程の下流でバランキナ
という地名だそうだ。
ここからサンファン・バウティスタの町迄約30㎞程度だという。
キャンプに来ている連中が夕方帰るので乗せて行ってやるという。
管理人もキャンプの連中もここから下流の事は全く知らない。
パラグアイ地図(200万分の1)を広げて慎重に距離を
計測するが、バランキナなんて地名も載っていないので
計測不能だ。ここの管理人に見せても地図なんて見た事も
ないので分かる筈もない。それでもそのグァラニー語しか
話せない管理人は「自分は行ったことはないんだが…」と
断りながら「ここがフロリダとリオネグロの中間点位だと
皆が言っている」。
それが本当だとするならピラールまで後5、6日かかりそうだ。
いずれにしてもこれから下流は人の気配もまばらな
未知の領域というわけだ。
「ピラールの半分程度まで来たと言うのだったら
俺も行くけど、4分の1も来ていないのじゃ~、止めるよ」と
原田漁労長。
後藤夫妻もルーベンも月曜日から仕事があるので
ここで降りることになった。



4人が降りて結局、筏ツアーは4人で継続




さらに今日、4人が降りて結局、ツアー継続は
北原ら4人となった。
念のため、残りの食料を点検してみる。
あるわあるあるアイスボックスに出発時に買った
1本十数キロの氷柱11本。
4、5人で10日かけても食べきれない程のドデカイ牛肉の
固まりも艶やかな色合いで氷の間にデーンと収まっている。
野菜はキャベツにタマネギ、ピーマン、にんじん、ネギ、
レモン…。パンも十分だ。
「これなら後1週間、10日かかろうとOKだぜ!」
料理長定やんが太鼓判を押す。
結局、この大冒険ツアー主催者学船長、定やん、武やんと
北原の4人が続行することになった。
武やんはピラポ移住地で家電品修理店を営んでおり
南米ジャーナルのピラポ支局長でもある。
定やんは、やはりピラポの住人で若い時は暴れん坊で
結構勇名をはせた御仁だ。
今は国道沿いに大きなスーパーを経営している
チョビひげおやじだ。
学船長はエンカルナシオン市で家電品と家具の店を
経営しており、やはり南米ジャーナルのエンカルナシオン支局長だ。
このバランキーナで降りる4人と別れの昼食会を催す。
アサードとマンジョカと缶ビールで「カンパーイ!」
「食った食った!」腹ごしらえも終わり、
4人は荷物をまとめて上陸。
岸辺でキャンプの連中が帰る夕方迄待機だ。
12時の無線機の交信でも結局、ピラールとはつながらなかった。

「チャオチャオ!」
「ブエンビアヘ!」(よい旅を!)
土手上の1本のヤシの木たもとで4人が手を振る。
バランキーナ出発13時50分。
筏はゆっくり岸辺を離れる。

物心つくころから日本映画、洋画を見まくった北原は
この別れの場面は(情感豊かな絵になる)と思った。
北原の映画歴は幼稚園時代から始まった。
通園途中に映画館があった。
時々、さぼって見知らぬおじさんが映画館に入る時、
そのおじさんの子供を装ってオーバーの裾を握って
スルリと入場する。 小学校に入って、映画館通いは
益々エスカレートする。
当時、何故か北原の家に市内の殆どの映画館から
特別優待券が送られてきた。
その優待券は台所上がりぶちのちゃぶ台の
引き出しに入っていた。
時代は戦後の混乱期から多少落ち着きを取り戻しつつあった。
両親ともまだまだ生活に追われそんな映画鑑賞などの
余裕はなかった。
それらの優待券を一人享受した北原は殆どの映画館の
常連になった。小学校も高学年になると時代も落ち着き、
学校側は小学生の映画は禁止していた。
時々、先生が映画館を巡回視察することがあった。
だが、1度も捕まったことはなかった。

映画全盛時、日本映画は「鞍馬天狗」「むっつり右門捕物帳」等々。
西部劇は「駅馬車」「黄色いリボン」「カスター将軍」…。
またフランス映画も「肉体の悪魔」「輪舞」「ヘッドライト」。
イタリア映画も「苦い米」「自転車泥棒」等々名作佳作が
目白押しだった。 ませた小学生は、アンニュイをちょっぴり
まぶしたミッシェル・モルガンや
小悪魔フランソワーズ・アルヌールなどを目を点にして
見つめていた。
中学になると学校の規制も一層厳しくなり、気楽な映画館通いは
難かしくなってきた。
高校になるとラグビー部に入ったためやや映画鑑賞の
時間もなくなった。
しかし、幼稚園時代からの映画好きは今に至るも続いている。


午後1時50分、岸を離れた筏は、大きくカーブする流れに乗った。
しかし、岸辺の4人が見えなくなる迄、30分もかかった。
フロリダ近辺に比べると流れが全くトロイ。
川幅は約200m。河辺の風景は行けども行けども変わらない。

「遅いですね…」
学船長が焦れてボートに乗り込み筏を引き始める。
岸辺に大きな白い鳥が10数羽、鶴か鷺(さぎ)か?
たっぷりと居住スペースが広がり、
やっと釣りでもやるかという気分になる。
筏を本流に乗せて学船長も筏に戻り、えさ用の干し魚の切り身を
針につけ2人で竿を出す。
                         (続く)


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