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2009.06.21 (Sun)

新連載  10 デーモニッシュなパラグアイの大地

10
―イルカが助っ人にー




北原は藤山家族が日本に引き上げた後、その家に引っ越した。
バイトの女子大生がいるとはいえ、一人で新聞を週刊で
発行するのは予想以上に重労働だった。
「やはりムリがあったか?」
 北原が過労から弱気に落ち込む日々が続いたある日、
「今日は!」と弾んだ声が玄関から聞こえてきた。
(エッ、まさか?)編集部にニコニコ顔で入ってきたのは
イルカだった。
「日本に帰ったのじゃなかったの?」
「帰る前にチリとアルゼンチンを旅行して来たんですよ」
 屈託のない声でイルカが答えた。
まさに救いの神、イルカ様々であった。
2つ返事で新聞社を手伝うようになったイルカのお陰で
北原の負担もグンと軽減された。
 
やがて旅行社も作った。雑貨店と旅行社で新聞社は
奇跡的に継続した。
奇跡的にとは、世界的に「南米ジャーナル」程度の
邦字新聞社はバタバタ廃刊していた。
 要するに歴史的に「移民新聞」としてスタートした
邦字紙は北米、中南米を含めて新しい移住者が来なくなった
ことから経営的に苦しくなってきていた。  

パラグアイも「ノアの方舟」という変則的な北原たちの
移住が最終移民といえた。
海外移住は新しい血が導入されないことには水が澱み
やがては途絶してしまう。
かってシャム王国に山田長政が「日本人町」を築いたが、
徳川幕府の鎖国令で消滅してしまったように…。
 
5月中旬、ロスにいる知人を頼って寺岡家族がロスに向けて
旅立った。
深田兄家族、弟、西川みき、大野恵子らも空港に駆け付けた。
「まずロスの家捜しですよ」
寺岡が屈託のない顔で笑いながら言った。
「賢ちゃんのお嫁さんになる」と小さい頃言ってた
1人娘由利ちゃんはクリクリした目を輝かせて
賢太や達也とふざけあっていた。
由利ちゃんももう7才になっていた。

 「ロスは近いから遊びに行きますよ」
 イルカもニコニコしている。  
優子は涙ぐんで寺岡佳津子と抱き合っていた。
傍らでまぁまぁばぁちゃんが「まぁまぁ…」と笑みを浮かべて
二人の肩をなぜている。
コバルトブルーの空はどこまでも青く眩しかった。
寺岡家族を乗せた機はグングン上昇していった。
柔らかな太陽が燦々と降り注ぎ風は爽やかだった。
 5月、パラグアイの1番いい季節だ。
機を見送って空港内の喫茶ルームで近況を語り合った。
カアクペで1軒家を借りてケーキを作ってパン屋などに
卸している西川みきと大野恵子は
「とても儲かるまでいきませんが、何とか食べてはいけます」
時々、キムさんが来て卵を1~2ダースただでくれるという。
アスンシオンの往復で農場前を通る2人はパラグアイ家族が
入っているようで車の出入りを時々、見るという。
千乃女史が売却したのだろう。
 「これで完全に千乃さんと縁が切れましたね」
 深田兄の女史に対する呼び方が「先生」から「さん」に
変わっていた。  
「多くの人の怨念というカルマを背負って彼女も
これからが大変ね」
 まぁまぁばぁちゃんがしんみりと言った。
北原は女史と対決した時に感じた「勝った」という安堵感と
ともに新たな大役をズシリと受け止めたスピリチュアルな
感覚をマザマザと思い出していた。
深田兄がいみじくも言ったように(彼女の役割は終わったのだ)。

 象の花子は、動物園から日本・パラグアイ友好協会の
パラグアイ側会長であるドミンゴ会長の牧場に引き取られた。
ドミンゴ会長は政府の国防大臣で眼鏡の奥の慈顔が優しい
丸まると太った好人物である。
 この国は中央を南北に貫通するパラグアイ河によって
西部パラグアイと東部パラグアイに2分されている。
会長の牧場は国土の60パーセントを占める西部側の
大平原チャコ(狩り場の意)地方にありアスンシオンから
車で2時間と比較的近い所にあった。

このチャコ地方はグランチャコ(偉大な・広大なチャコ)と
パラグアイ人たちが畏怖と憧憬の念を持つ地である。
 地勢の変化に乏しく北西部(海抜100m)から
南東部にかけてゆるやかな大平原となっており南東部は
低湿地帯となっている。
全体的に半乾燥地帯で背の低いとげのある潅木が多い。
チャコは、大昔の海底が隆起したもので地下水を汲み上げても
塩分を含んでおり飲み水にはならない。
このため東部パラグアイに96パーセントの人口が集中しており、
チャコ地方にはわずか4パーセントが散在しているに過ぎない。

ドミンゴ会長の牧場に花子と一緒に森田老人と
田中母娘も引っ越した。
北原は「引っ越した」との連絡を受けてそのチャコの牧場に行った。
花子は牧場の一角に相変わらずベタリとへたり込んでいた。
北原の目にも花子が再び元気に立って歩ける日が来るのは
不可能だと思われた。
やはり花子はこのパラグアイに死に場所を求めて
やって来たのだろうと思った。
森田老人と花子情話は日本で美談として取り上げられた一方、
黒い噂として報じる週刊誌もあった。
 いわく森田老人を「詐欺師」「ほら吹き」「ウソつき」
と非難めいた記事を書いた記事が北原の所にも送られてきた。
その中に「彼はもらい乞食ですよ。
よく道ばたに犬を連れている乞食がいるでしょ。
あの犬のかわりに象をおいた姿が森田です。あれは花子商売だ」
と厳しい記事もあった。
森田老人が北海道から暖かい南に移動して行く中で熱烈な
協力者たちが「花子の会」を結成しては、
喧嘩別れするなど全国から寄せられた浄財を巡って何度も
トラブッテいる。
 北原は「不具の花子は手品のタネ」と決めつける
それらの黒い噂を頭の片隅において花子と懸命に世話をする
森田老人を見ても、やはり感動する。
 花子の食費はかさむ。
このパラグアイでは花子情話に感動して浄財を寄付するなどと
いったセンチメンタルな人間は少ない。
やがて花子が死んだ、という情報が北原の所に届いた。
ヒッソリとパラグアイの大地で「花子情話」が閉じられた。


 北原は創刊号から欠かさずコラムを書いている。
「北原さんの休憩室は風のことをよく書いていますね」
 何事につけ理屈をつけて評論したがる豆腐屋の秋田の爺さんが
新聞を単車で届けた時、北原に言った。
実際、単車でアスンシオン中を走り回っている時、
頭はからっぽになり、微妙な風の囁きを感じる。
その囁きは風が運んでくるものか心の内奥から沸き上がって
くるものか分からないが無数の言葉が、想いが泉のように
コンコンと湧いてくる。
北原は単車乗車時のこのフィーリングが好きだった。
時にあの「銀河鉄道の夜」のジョバンニが聞いた
天空の彼方からの汽車の音が聞こえてくるような
メルヘンの世界の際をウッスラと走るような感覚もあった。
 これはランニングハイと呼ばれるマラソン選手が感じる
あのα波、恍惚境と同じものであろうと北原は思った。
コラム「休憩室」のテーマは、タイプライターに向って
やたらと爪を噛む時よりも単車で走っている時に
フ~ッと浮かびプロットが完成する。

この風の感覚はパカライファームのユーカリ林の散策や
林間での読書で感じた風の囁きと同じだった。
ファームでの作業は土日が休みだった。
新館には日本から持参した本が文学書から神学、スピリチュアル、
実用書まで数千冊の雑多な本があった。
ユーカリ林で土日、それらの本を耽読した。
読書に倦んだ時、林間の木漏れ陽をチラチラ浴びながら
風と戯れつつ瞑想した。
ユーカリの微香と微光それに柔らかな風と対話していると
心は千変万化、様々な場所に飛翔した。


「いつも同じようなケーキばかりですみません」
と西川みきと大野恵子が時々、新聞社に立ち寄る。  
二人は24歳と同じ歳でほんとに仲がいい。
ほっそりとした身体に小さな顔が ちょこんと乗っかっている
西川みきはいつまでも少女の雰囲気が消えない。
みきちゃんがどうやらイルカに好意を寄せているらしい。
大野恵子はずんぐりむっくりとした骨太の体躯で
えらの張った顔をしている。
笑うと目がほとんどなくなり無類のお人好しが
そのまま顔一杯に現われてくる。
イルカはパラグアイ人の金髪のセリョリータとつき合っている。



「南米に第2の日本を…」右翼の老親分、大江   



ある日、70歳過ぎの眼光の鋭い白髪の老人と40代の
眼鏡をかけた如何にもインテリっぽい女性が北原を訪ねて来た。
一目で(ただ者ではないな…)と北原は背筋を伸ばした。
その老人は「1人1殺」思想を説いた昭和初期から
大東亜戦争に至る迄、時流に大きな影響を与えた右翼の巨頭、
井上日召の直弟子だった人物である。   
大江乾雲と黒木祥子の二人は北原にサンパウロの緒方龍雄の
紹介で来社した、と告げた。
緒方は北原の大学のラグビーの同期生だった。
彼は日本のテレビ局などから要請を受けて南米のトピックスや
面白ネタを一手に引き受けている下請け的なプロダクションの
仕事をしている。
緒方がパラグアイの取材で南米ジャーナルに
取材協力を求めて来社した時、その十数年振りの奇遇に
お互い歓声を上げたのはほんの2カ月前だった。  
 北原は二人を居間に通した。  

 大江氏は北原に「『井上日召伝』という赤い表紙の本を手渡した。
自分が監修したものだという。
「3年前、日本の出資者と共同でブラジルに一万ヘクタールの
土地を購入して5000頭の牛を放牧しているのですよ」  
 大江氏はしゃがれたドスの効いた声で言った。
その南米開発牧場を更に拡大する計画だという。   
「パラグアイもこれから面白いし、北原と言うのが新聞社を
やっているので訪ねていったら…」との緒方の助言を受けての
パラグアイ来訪だった。   

「日本はもうダメだ。南米に天皇を立てて第2の日本を
作ろうと思いましてねぇ~」。  
 北原は一瞬、(冗談か?)とマジマジと大江氏を見つめ直した。   
「ナ~ニ、天皇なんて簡単に出来るのですよ」事もなげに言い放つ。
確かに「1人1殺」思想を持った戦前の右翼の巨頭、
井上日召の直弟子というだけあって何とも危険な
殺気を内に秘めている。
横の椅子に座った秘書の黒木祥子は背筋を伸ばして
大江氏の話に一つ一つ深々と頷く。

昭和の動乱期、1932年(昭和7年)5・15事件が勃発。
これは井上日召の「1人1殺」思想に影響を受けた
海軍の青年将校らが首相犬養毅(いぬがいつよし)、
蔵相井上準乃助、三井の団琢磨らを殺害したテロ事件であった。
 1929年10月24日、ニューヨークのウォール街に
端を発した世界恐慌は日本をも直撃した。
いわゆる昭和恐慌と呼ばれた暗く長いトンネルが以降続き
日本の敗戦へとつながった。
昭和初期、疑獄事件が相次ぎ、政党政治が腐敗して農村は疲弊し、
都市では失業者が溢れていた。
この恐慌で最も打撃を受けたのが農家であった。
特に養蚕農家は全く輸出が出来なくなり娘の身売りなどが頻発した。   当時の国状は、政友会と民政党の2大政党が対立する
政党全盛時代であった。
政友会が三井財閥に、民政党は三菱財閥にそれぞれ結託して
財閥本位の政治が行われていた。
日本の不況の要因は財閥と結託した政治家たちであると
世情にも彼等を糾弾する空気が充満していた。
つまりテロを容認する世情があったのである。   
それが日蓮宗の僧侶・井上日召主宰の民間右翼団体
「血盟団」(1931年)を生む素地となった。
彼は口先だけの革命理論ではなく政治指導者や
財閥のボスらの「1人1殺」を唱えて実行した。   
1932年2月9日、東京本郷に選挙の応援に来ていた
井上準乃助が暗殺され、翌3月、日本橋の三井本館で
三井財閥の総帥・団琢磨が殺された。この2つの事件が
「血盟団」事件と呼ばれた。
首謀者、井上日召他団員すべてが逮捕入獄されたが、
この事件は 5・15事件、2・26事件へと連鎖していった。  
 井上日召は判決の結果、「無期懲役」となって
昭和9年12月、小菅刑務所に入って、
昭和15年10月17日、皇紀二千六百年の祝典により
大赦令で仮出獄となった。
そして昭和16年4月29日、いわゆる天長節の日、
特赦の恩典により「判決ノ効ナカラシム」
という特旨を受けている。
これはどういうことかと言うと、「前科はない」という
日本の行刑始まって以来、前例のない措置である。
これをみても当時の世相が如何にテロを容認していたかが伺われる。
日召は1967年(昭和42年)、81歳で亡くなった。
  日召当時の革命思想家たちには日蓮宗の法華経に
帰依した人物が多い。
井上日召にしろ茨城県大洗の通称ドンド山という
低い丘陵にお堂を建てて法華経を唱えている内に霊能力が
発現し加持祈祷などを行って病気直しなどを行っている。  
 2・26事件の首謀者北一輝
(きたいっき・1883~1937死刑)も
法華経を大音声に唱え特異な霊能力を発揮した。   
また「国柱会」の開祖となり「八紘一宇」
(はっこういちう・全世界を天皇を中心とする国家にする)
を唱えた田中智学も日本のその後の潮流に
大きな影響を与えている。
国柱会の信者としては宮沢賢治がいる。  
 大江が法華経思想を受け継いでいるかどうかは、
判然としなかったが、氏は易学の大家だった。  
 比較的のんびり育ち、全てに淡白な北原は体質的に
日蓮宗の持つ傲慢さが鼻について法華経には
あまり深入りしなかった。
事実、法華経の勧持品(かんじほん第12)には
過激な殉難、殉教の実践が強調されている。
このことから現代の学者の中には法華経は、
一般社会から疎外された排他的・閉鎖的な特殊階層に
よって作成されたものであろうと推測し仏教としては
特異なものだと考えるむきもある
(『法華経』、田村芳朗著、中公新書)。

法華経に「地湧の菩薩」という表現がある。
法華経に帰依する行者はすべて地湧の菩薩というのだそうだ。   

これに対して北原は聖書の中のイエスの言葉
「上から来る者は、すべてのものの上にある。
地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。
天から来る者は、すべてのものの上にある」
(ヨハネによる福音書第3章31)という言葉のほうに
シンパシーを感じていた。

南米開発牧場の管理などで秘書の黒木がサンパウロに常駐し、
大江は1年に1~2度、来伯している。
大江が南米に並々ならぬ意欲を燃やしているのは
言葉の端々から十分伺えた。  
 しかし、戦前右翼の残滓を引きずったままの
「第2の日本建設構想」では今時の若い連中は
ついて来ないだろうと北原は思った。
(俺だったらもっと柔軟な別な方法でやる)
と北原は秘かに考えた。
北原と二人との交流はその後、ゆるやかに続いた。


スピリチュアルスポット  
 パラグアイ
 



 北原は戦前右翼の血流を受けた大江らの
「第2の日本建設」計画を複雑な感慨で受け止めた。
この南米の臍ともハートとも言われる小国パラグアイは、
何かデーモニッシュなスピリチュアル・スポット
なのかも知れない。  
 北原達が乗船した「ノアの方舟」というドロ舟に限らず、
その真っ白いカンバス故にパラグアイは古くから様々な
夢想家を惹き付けてきた。
カンヌ映画祭でグランプリを取った英国映画「ミッション」
の主人公、イエズス会の神父たちが1750年代築いた
「インディオ王国」。
それらのインディオ王国は世界1の大瀑布の下流地域に
いくつもの教導区を造った。  
 そしてあの大哲学者ニーチェの妹エリーザベト・ニーチェが
ドイツ人移民14家族を引き連れて1886年アスンシオン港に
上陸して企てた「新ゲルマン帝国」構想等々…。  
 さらに南米のナポレオンたらんとしてブラジル、アルゼンチン、
ウルグアイの3国を相手にした「3国戦争」
(1866~1870)でパラグアイを南米1の最貧国に陥れた
亡国の大統領フランシスコ・ソラノ・ロペス。
それらの何れもが空しく崩壊した。
                         (続く)




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