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2009.06.10 (Wed)

新連載 イグアスの風 第二の祖国に日系オアバマを

4、
靖国神社を祀れない日本
龍族の蘇りの聖地、パラグアイに!



「僕は亡国の琉球王国の子孫だが、
日本の先の大戦は西欧諸国の植民地支配から
アジアを解放した戦争で侵略戦争などでは
絶対ないと信じている。
まさに自衛のための戦争だった」
北米で一大運送業を確立し母県沖縄でも
知名士となっている安田が持ち前のだみ声で言った。

新田が焚火を見つめながら話を引き継いだ。

「日本の戦争は国家としての戦争だった。
戦争とは人を殺す事です。
だから国家の戦争は犯罪ではないのです。
戦争で人を殺すことが犯罪ならば原爆を投下し
無差別爆撃をしたトルーマンこそ大犯罪者です。
アメリカの戦争が犯罪でないなら
日本の戦争も犯罪ではない。A級の人7人、
BC級の人約1000人が処刑されたのですよ。
その他の人は有期刑を受刑し、その刑を全うした。
そもそもABCなる罪名は連合国側が勝手に
つけた呼び名です。処刑された瞬間、
すべては終わっている。
東京裁判の判決の執行は全て終わったのです」。

靖国神社には、246万6000柱が祀られている。
靖国神社は日本と日本人の聖地である。
アメリカのアーリントン墓地、
イスラム教徒のメッカと同じ聖地である。
昭和26年11月、大橋武雄法務総裁(大臣)によって、
戦犯は「国内法においてはいかなる意味でも
犯罪ではない」との政治判断がなされている。
また、昭和27年12月、28年8月、
30年7月と3回も国会に於いてA級戦犯とされた方たちの
赦免・釈放を求める決議が行われた。
つまり、日本政府は「戦犯」を犯罪者ではないと認めている。
ゆえに日本には「戦犯」は存在しない。
日本にヒットラーはいなかった。

あのマッカーサーでさえ、1951年5月の
アメリカ上院軍事外交合同委員会で
「日本の戦争は自衛・安全のためだった」と証言している。
日本人は、死ねば皆、神様仏様になる。崇める存在である。
所が中国人は死者に恨みがあればたとえ数百年経とうと
墓をあばいてでも遺体にムチ打つ、
という伝統的な恐るべき国民性を持つ民族である。

「日本の為に戦い死んでいった英霊たちを祀ることも
出来ない日本ならば、このパラグアイで靖国神社を
お祀りしてやろうじゃないか、と僕は決心したのですよ」
突然、新田が呟いた「靖国神社」という言葉が
何の異和感もなくチャコの星空に吸い込まれていった。

「そうですね。この南米で開拓に殉じた先人達の
御霊と共にイグアス神社に祀ろうじゃありませんか」
北原は以前から進めているイグアス神社建立計画を
場合によったら靖国神社に切り替えてもいいか、
とフッと思った。

大瀑布イグアス(先住民の言葉で“大いなる水”)の
滝の轟々たる水音と飛沫する霧の中に龍神が
ユラユラと入水する幻影をチャコの荒野で北原は観た。

古代日本の覇権を巡って天津神と國津神の争いの中で
龍族たる国津神は破れて歴史の表舞台から消滅した。

この南米の臍ともハートと呼ばれるパラグアイの地こそ
龍神を祖霊と崇めてきた龍族の蘇りの聖地なのだ、
子々孫々封印されてきた龍一族はこの地に集結して
新たな国創りを目指そう。



新・ノアの方舟運動(76年)による
パラグアイ移住   おかっぱ頭の千乃幸恵




 「ね、そうだよね!」
断定的な話し方をする女性だ。
どうみても40歳以下には見えない千乃幸恵は
おかっぱ頭をしていた。
誰かに似ていると北原次郎は思った。
そうか、中学校時代の美術の教科書に載っていた
あの岸田画伯の「麗子像」だ。

日本超心理学会主催の「パラグアイ移住説明会」の
講演会は76年6月、東京の中野サンプラザで開かれた。  

「パラグアイファームではこんなデッカイ茄子や
ピーマンが出来るのよ!」 
「大助君は、トラクターに乗って畑作りに頑張っているし、
孝治君は馬に乗って牧場の牛を集めたりカウボーイの
アントニオさんの 手伝いをして毎朝乳しぼりをやってるわよ」
「後藤のおじいちゃんは、自分の畑で好きな野菜作りを
していたら 髪の毛がふさふさ生えてきたのよ」
小柄で小太り、やや肉ぼての浅黒い顔をした彼女は
ハイトーンのソプラノで 機関銃のような早口で
滔々と喋っていた。
 とても美人とは言えない彼女だがその高い声は
不快ではなかった。
むしろ心地良い響きを持っていた。
この声が人々を惹き寄せるのだなと彼は漠然と思った。
会場はニコニコ頷いたり、笑い転げたり和やかな
雰囲気だった。 参加者の多くは、
いつかは自分たちも行くであろう、
そのファームの話を楽し気に聞いていた。
参加者は20代の男女、60年輩のご夫婦など
20人位だった。

会場全体が笑いに包まれても彼女の鋭い目は
笑っていなかった。
身ぶり手ぶりで参加者を自在にコントロールしている。
彼はその会場の雰囲気に馴染めず醒めた気持ちで
彼女を観察していた。
北原が真っ赤な表紙の「新・ノアの方舟」の本を
故郷大分市の 本屋で手にしたのは75年の物憂い秋だった。
妻まどか、が小学校の2人の子供を置いて家を出て
既に4年が経っていた。
妻の家出の原因の半分以上は彼に責任があった…。 
北原がまどかと結婚した時、まどか18歳、北原22歳。
お互い、若すぎた。
北原は結婚後も複数の女性と遊び回った。  

彼女の父親は県庁マンだった。
中学を卒業すると彼女は宝塚に入った。
宝塚に入って間もなく両親が離婚した。
父親が職場の女性と深い関係に陥ったことが原因で離婚し、
県庁も辞めた。 この離婚騒動が原因で彼女は宝塚を
中退して大分に戻った。
母親は別な男性と結婚し、彼女はその母親とともに
新しい父親と住むようになったのだが、
思春期の少女と新しい父親がうまくいく筈がなかった。

まどかとの出合いは、会社帰りにバスを下りて
家路についている時、声をかけられたのが
最初の出合いだった。 その時、まどかは豹皮のコートを着ていた。
町中を歩いている時、新東宝の女優に似ていた彼女の
白い派手な顔立ちは遠くからでも目立った。
何でも何度かバスの中で北原を見かけていたという。
北原が東京のミッション系の大学を中退して
故郷の大分に帰って2年目だった。
大学では彼は高校時代からやっていたラグビー部に入った。
ラグビーの練習試合で肩を痛めた彼は授業にも集中出来ず、
中退した。

北原を表して会社の先輩が「お前は月のような存在だ。
隣に太陽のような人がいないと、お前は全く目立たない」と
言ったことがある。
何ともひどい酷評だ。
しかし、北原自身はそんなものだ、と納得していた。

彼の母親は勝ち気な明るい性格だった。
小学校時代、母親は担任の先生に
「北原君は何か暗いですね。
家庭で何か問題があるのですか?」と聞かれたという。
「うちはまったく普通の家庭で何も心配事は
ないのにね~?」と首を傾げていた。

家庭というものに飢えていたまどかの独占欲は強烈だった。
同棲を始めたものの2人の生活は荒んだものだった。
その間、彼女は2度程自殺未遂をした。
また、北原がアパートの部屋から逃げられないように、
背広やズボンなどをズタズタに切り裂いた。
北原も1度、薬を飲んで病院に救急車でかつぎこまれた。
彼は福岡、大坂などへ3度、彼女から逃げ出した。
その3度とも結局、彼女に捕まってしまった。
必死になった時の女性は、超人的な勘が働くらしい。
1度は別府の街を歩いている所を捕まった。
最後に逃げた大坂ではベッドメーカーのセールスマンを
していたのだが、数カ月後、
フラフラと彼女と生活していた
アパートへ舞い戻ってしまった。
まさに蛇に睨まれたカエルだな、と自嘲した。

結局、観念してまどかと結婚した。

まどかとの離婚後、2人の子供は弟の嫁の母親が
住み込んで面倒をみてくれた。
北原の気兼ねなく遊ぶ派手な女性遍歴が続いた。
時に1日にダブルブッキングもあった。
北原にとってそれは狩りのようなものだった。
月が持つ魔力とでもいえばいいのだろうか。
狙った獲物は必ず射止めた。
そんな不毛な狩りにもやがて倦んだ。

段々、哲学書や宗教書を読みふけるようになった。  
そんな時、「新・ノアの方舟」というタイトルに
惹かれてその本を手にした。 
だが、「南米」「パラグアイ」という泥臭いイメージは
彼の感性に相容れないものだった。
子供時代からあらゆる映画を観る機会に恵まれて
育った北原は、透徹したアンニュイがまぶされた
フランス映画や音楽が好きだった。
パラパラとめくっただけで結局は買わなかった。

 そして、75年5月、優子と再婚した。   

優子は大人しい女性だった。
待ち合わせの時など北原が2~3時間遅れても
じっと待ち合わせの場所で待ち続けるような女性だった。
後年、彼女は「優ちゃんが腹を立てたことを
見たことがないねぇ~、と友達、知人などから
良く言われていたのにこちらに来てから
パラグアイ人とよく喧嘩するようになったわね~、
強くならないとここでは生きていけないものね」語った。

また、「“将来は大物になるよ~“
と近所のおばさんなどにも言われたけど、
これは冷やかしだったのかな~?」
と半ば真面目に北原に聞いたことがある。

そろばんが得意だった彼女は別府の小さな
科学薬品会社の経理を担当しており社長に代わって
銀行との融資交渉に行っていた。
優子との出合いは銀行の前だった。
傘を持っていない優子が銀行前の軒先きで
雨が止むのを空を見上げて待っていた。
銀行を出て来た北原は、ほの白い顔の優子に気付き
「良かったら入りませんか?」と誘った。
ちょっと躊躇したが、素直に傘に入ってきた。
優子には何か人を包み込むような優しさがあった。
北原は彼女といる時が一番ゆったりと寛げた。
「結婚するか?」北原のプロポーズに優子は頷いた。
バツイチで2人の子連れの35歳の北原との結婚に勿論、
彼女の両親は猛反対した。
―が、結局、彼女の決意に両親も折れた。
彼女の実家は別府でもかなり有名な川中求心堂という
代々続いていた大きな薬の卸問屋だった。
だが、彼女が小学校の時、父親が知人の連帯保証人になり、
その借金返済を迫られ全てを失って没落した。


優子が北原と結婚した時、26歳だった。
風の頼りに北原の再婚を聞いた、まどかから
執拗に家や会社に電話がかかるようになった。
まどかも再婚していたのだが、
2人の子供恋しさの哀願だった。
優子は北原に何も言わなかったが、
優子にも嫌がらせの電話がかかった。
時に家や会社にもまどかは押し掛けて来るようになった。
家庭崩壊の予感に北原は戦慄した。

「海外しかないか?」段々、彼の決意は固まっていった。
北原は過去の経験から日本にいる限り、
彼女から逃げる事は出来ない。
執拗な彼女の要求にいつかずるずると、
屈するのではないかという自分自身のもろさに対する
怖れの気持ちが強かった。
海外移住を考えた北原は、いつか町の本屋で手にした
「新・ノアの方舟」という本を思い出して購入した。

「新・ノアの方舟」乗船案内 千乃女史は、
「新・ノアの方舟」の冒頭、民族大移動を成し遂げることの
苦悩を次のように書いている。

“私のような平凡な女性が民族大移動等
できるのでしょうか? これは悪夢だ!
―と何度おもったでしょう。
でも、現実、私は昨年から40人もの老若男女の日本人を
パラグアイに移住させたのです。
神様、もう私はお役目は十分果たしました。
私の役目は終わったのですね?
何度、問い直したでしょうか…。
逃げても逃げてもまた、
あのさざ波のような想いは襲ってくるのです。
もう、何日もこの民族大移動という途方もないお役目を
果たすためには何をなすべきか?
思いはこの一点に集中して一睡も出来ない日が続き
背中に洗濯板が張り付いたように硬直してしまった。
食欲もなく、無理して食べても戻してしまうのです。
心身共々極限状態となったある日、
もの凄い睡魔が身体を支配して地中にのめり込むように
眠ってしまいました。
目覚めて主人に聞くと丸2日、
死んだように眠っていたそうです。
ノロノロ起き上がった私はまた、
この死ぬほど苦しいこのお役目に
チャレンジしていったのです“ 
(「新・ノアの方舟」大陸書房)

千乃女史は、その本の中でソ連の脅威や朝鮮半島情勢、
中ソ関係、米ソ関係、中東問題、食糧、
石油問題など脅威を煽っていた。
千乃女史の分析している国際情勢は粗雑なものだった。
彼女が分析して危機感を煽っている国際情勢などには、
何の興味も関心もなかった。
北原がその本の中で心を動かされたのは、
現実にパラグアイに人々が行き、
その農場が動きだしているという事実だった。
現実にパラグアイ・ファームで生活しているという
現実だけで十分だった。
他に海外脱出の道を思い描けなかった彼にとって
この移住ルートは絶好なものに思えた。   

その本の末尾に  
「ノアの方舟に乗りたいと希望される方たちへ」   
という説明文があった。

  資格=資格は一切問いません。
生きることの意味を真剣に考えておられる方なら
どなたでも受け入れます。

  大事な事=目に見えない世界があるということを
信じておられる信仰心のある人を重視します。
  参加される方は=履歴書と家族調書、
健康診断書が必要です。        
 所持品について=ご相談しましょう。   
本について=私たちの子孫のためにあらゆる本の
リストをつくりましょう。
  移住開始時期は=移住希望者がある程度まとまったら、
グループ毎に出発します。
但し、受け入れ現地の家の準備状況も勘案して多少、
遅くなることもあります。
     
パラグアイついて=極力、ご自身でパラグアイのことに
ついて勉強して下さい。

  移動資金=お金のない方は、ご相談しましょう。
私たちの仕事を手伝って下さい。おんぶに抱っこは困ります。

北原は、この風変わりな乗船案内に好感を持った。

「海外しかないか?」段々彼の決意は固まっていった。

「パラグアイに行こうと思う…」優子に話した。
優子は何も言わなかった。

自宅を売る段取りをつけ、北原の母親に話した。
父親は数年前亡くなっており、
母親は北原たちと郊外の団地で隣接した家に
1人で住んでいた。 仰天した母親は親戚に相談した。
連日、隣の母親の家で親族会議が開かれて猛反対された。
「その千乃女史に洗脳されたんじゃないの?」
地元の新聞社勤めの姉の夫やバス会社社長の義兄たちの
反対は強かった。

そりゃそうだ、北原1人ならともかく新婚ほやほやの
新妻と幼い2人の子供を連れての海外移住なんて
まさに気狂いじみている。



“方舟詐欺事件“メディアが一斉に



北原は連夜の親族会議の猛反対を押し切って、
渡航準備を始めた。
自宅の買い主も決まり手付け金をもらった。
その手付け金を東京の「新・ノアの方舟実行委員会」
の銀行講座に振り込んで正式に乗船申し込みをした。
やがて自宅の売却代金残額も受領し、
後は買い主に期日に自宅を明け渡すばかりだった。
自宅の売却代金は1000万円だった。
手元に当座の必要金だけを残してその殆どを
実行委員会事務局に寄付した。
家族全員のパスポート手続きも終わり、
76年8月上旬いよいよ東京に出発する数日前だった。

「パラグアイを舞台にしたノアの方舟、
現地は砂質土農耕不適地、引揚者たちが悲痛な訴え!」
とのおどろおどろしいタイトルの記事が全国紙の
3面に大きく掲載された。
その情報を持ってきたのは地元の新聞社に務めている
義兄だった。
再び親族が集まり絶対反対の大合唱が始まった。
不退転の決意を固めていた北原も動揺した。
東京の事務局担当の女性に電話すると
「一部の不満分子の人が左翼系の弁護士の口車に
乗って騒いでいるだけです。
現地では順調に皆さん生活をしていますから
何も御心配いりません」

北原は恐怖と不安に襲われ悩みに悩んだ。
彼は不安感が嵩じると、吐き気に襲われる、
ということを初めてその時知った。
常識的な判断に従えば、渡航中止をするのが当然だった。
しかし、彼はあまりに聖書のイエスの言葉に
のめり込んでいた。

彼が自宅の売却代金の殆どを実行委員会に寄付した行為の
背景には、新訳聖書中の次の言葉が大きく影響していた。

“1人の真面目な青年がイエスに永遠の生命を得るために
何をしたら良いのか訊ねた。
イエスは答えた「いましめを守れ」と
「どのいましめですか?」 イエスは言われた。
「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証をたてるな、
父と母とを敬え。 また、自分を愛するように
あなたの隣人を愛せよ」
この青年はイエスに言った。
「それはみな守ってきました。
ほかに何が足りないのでしょう」
イエスは彼に言われた。
「もしあなたが完全になりたいと思うなら、
帰ってあなたの持ち物を売り払い、
貧しい人々に施しなさい。
そうすれば天に宝を持つようになろう。
そして、わたしに従ってきなさい」
この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。
たくさんの資産を持っていたからである。
それからイエスは弟子達に言われた。
「良く聞きなさい。富んでいるものが天国に入るのは
難しいものである。また、あなたがたに言うが、
富んでいる者が神の国に入るよりは、
らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」   
 (新訳聖書 マタイによる副音書 第19章16~24)“


  北原は、大学中退、実家の火事、妻の家出、
オートバイ運転による人身事故など一連の出来事が
すべて自分が原因で起きている事を痛感していた。
何となく自然にそれまでの自堕落な生活を一変させて
哲学書、宗教書を読みあさり本当の自分の
人生を探究していた。
そんな時に、「新・ノアの方舟」の本に出会った。
頭があまりにピュアなものに憧れ過ぎていた。
そのことが常識的な判断を鈍らせた。
行くも地獄、戻るも修羅…。

「新ノアの方舟組織委員会起草文」には
新たな精神世界樹立のための美辞麗句、
誇大妄想狂的な文章が散りばめられていた。

第1条(趣意) ー(中略)物質文明偏重で発展してきた
世界はさまざまな矛盾を露呈し、荒廃した。
この解決のためにはわれわれ人類は新たに魂のレベルを
上げねばならない。 これまでの汚れた魂を洗い清める
修行の場として素朴なパラグアイという国で新しい
生命哲学を学びあいたい。そして21世紀を平和な世界に
創りかえる理念哲学を産み出し世界中に
発信していこうとするものである。

第2条(目的) ー(中略)世界の情報発信地である
ニューヨークに新しい生命哲学にのっとった
総合メディアを設立し、新聞、雑誌の発行およびテレビ、
ラジオにより全世界各国に新しい波を起こそうと
意図するものである。

(中略) 第3条(資格) 参加者の資格は、
年令性別を問わないが我々の新しい生命哲学に
賛同する人で文化人、芸能人、科学者、技術家、
芸術家等広く一般の参加を希望する。

第4条(中略)すぐそこにきている危機は食糧問題であり、
資源問題である。 またもう1つの問題は、
人口増加およびイデオロギーの問題である。

(中略)これらのことを解決するため新ノアの覚醒者が
率先して南米大陸において農業牧畜に励み、
各自の内面に埋蔵されている“無限の生命力”を開発し、
21世紀のネオ・ホモ・サピエンスとしてあらゆる分野の
リーダーとなって世界を善導することを目的とする“

実に壮大な構想が書かれていた。
その他もろもろの生命哲学や第3次元世界から4次元、
5次元世界のことなどが書き連ねられた、
この起草文は昭和51年4月25日(1976年)に
作成されていた。

バス会社社長の義兄は、北原が多分に宗教的な影響を
受けていることを懸念して、禅宗の高齢の僧侶に
引き合わせて説得した。

「その千乃さんとやらは、いくつ位ですかな?」
「多分、40前後だと思います」
「そんな若さでは到底悟っているとは思えませんなぁ」

親族総掛かりの説得も振り切って結局、
彼は遥かなる荒野の国パラグアイへの道を選んだ。

(続く)

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