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2009.08.06 (Thu)

政見放送 奈落の底に


政見放送 奈落の底に



6月21日、午前11時から東京渋谷の
NHKで政見放送本番収録が行われることに
なっていた。
その日、朝から北原は心身ともに
極度に疲れ果てていた。

数日来、地方出張が続いた。
NHK収録日の前日、静岡県の世界緑化協会が
関係する宗教団体の大祭に出席するため、
朝8時10分の新幹線に乗り掛川から
迎えの車で同教団の本部に向かった。
その神道系の教団本部は鄙びた小高い
丘陵地にあり真新しい
檜作りの神殿が見事だった。

北原はその大祭に集まっていた数百人の
善男善女たちに、「今、何故南米か?」
ということを平易な言葉で力説した。

大祭を無事終えて東京駅に戻ったのは
夜11時半だった。中央線に乗り換えて
新宿に帰る車内は込み合っていた。
つり革に両手でつかまり
床にへたり込みたいほど、
疲労困ぱいしていた。

本当ならその晩、本番収録用のせりふを
数十回練習する予定だった。
だが、明早朝に起きて練習しようと、
ぼんやり考えながら簡易ベッドに
倒れ泥のように眠った。

本番当日、カーテンからもれてくる朝陽に
眠りを妨げられた北原は、鉛のように
こわばった重い身体をベッドから
引き起こして窓から南東に見える
NTTの時計台を見た。
(ヤバイ!)時刻は、8時を過ぎていた。
窓から眩しいほど青い空が広がり、
白い雲がフ~ンワリ浮かんでいた。
渋谷のNHKに10時半迄集合となっていた。

9時半に小坂議員秘書の山本孝と広報担当の
山倉耕作が車で迎えに来ることになっている。

何よりも狼狽したのは体力ばかりか
気力が全く萎えていることだった。
歯を磨き、髪の毛を整えながら壁に
張っていた本番用の決め台詞を慌てて
10数回復習した。

ネクタイを締め背広に着替え6階から
エレベーターで玄関ホールを突っ切り、
このマンション入り口にあるコンビニ、
セブンイレブンでサンドイッチとミルク、
それにタレントのタモリが歯を剥き出して
笑っている精力ドリンクを2本買った。
マンション入り口に設けられている
休憩室の椅子に座りサンドイッチと
ミルクで朝食をとった。
朝食後、精力ドリンクを2本飲んだが
気力は奮い立たなかった。

やがて、山本が運転するカローラが
マンション前のエントランスに到着した。

電通OBの山倉耕作はいつもの笑みを
浮かべて北原の体調を聞いた。
車内で北原に決め台詞の
復唱を2、3度させた後、
アナウンサー必修とされる早口言葉と
明瞭な発音を促すため唇の柔軟にさせる
言葉を何度か練習させた。

北原のへたった気力は戻らぬまま
NHKに9時15分に着いた。
NHK受付で名前を告げると化粧室に
案内されて鏡の前の椅子に座らされ
係が慣れた手つきでペタペタと
ドーランを顔に塗った。
収録室へ向かうと既に候補者たちが
10数名集まっておりそれぞれの決め台詞を
あちこちで復習していた。
候補者全員が揃った時点でディレクターが
収録手順を説明した。

本番の前に1度だけ練習が行われた。
日高英太公民党広報担当議員が候補者全員に
ニコヤカに緊張をほぐすように話しかけた。
安藤晋三幹事長が演壇横で
次々候補者を紹介する。
何もかも公民党本部でリハーサルを
した時と同じ光景が展開した。
演説の順番は50音順になっており
北原は12番目だった。
リハーサルで北原は一か所トチッタ。
嫌な予感がした。

「本番収録は1回きりで撮り直しは
ありません」とディレクターが
何度も念を押した。

拳を振り上げる者、諄々と話す人、
名前を何度も繰り返す人、
それぞれ工夫した決め台詞を
皆確実にこなしていった。
中でも議員経験者は余裕たっぷり
CMタレントのように演じきり
(さすがだな~!)感心させられた。

「史上初めての海外在住の候補者
ジロウ北原さんです!」
安藤幹事長が例の早口で紹介する。

「コモエスタ、にっぽん!南米28年、
海外から史上初めて国政を目指します。
益々進む国際化、世界に誇る中小企業の
匠の技と知恵を海外に…」
突然、頭の中が真っ白になり
次の言葉が出て来なかった。
安藤幹事長が心配そうに
北原の方に顔を向けた。
それはほんの一瞬だっただろうが、
北原には無限地獄のように感じられた。

「日本から海外へのパイプを、
海外から日本への道を、ジロウ北原です。
よろしくお願いします」
何とか最後をまとめたものの
席に戻った北原は、このまま溶けて
消えてしまいたい絶望感に襲われた。

北原はイエスが十字架に磔にされた時、
叫んだと言われる言葉を心中で絶叫した。
(エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ!
『わが神、わが神、どうして私をお見捨てに
なったのですか?』)。

天は、南米のド田舎パラグアイで沈没した
「新・ノアの方舟」の1生存者の襟首を
掴んで南北米ドサ回りさせた。
そして引き上げ、その気にさせ、
最高の舞台を用意した。
すぐ目の前に栄光の世界が
待ち受けている筈だった。
最高の晴れ舞台が一挙に暗転して
北原は恥辱の泥にまみれみじめな姿を
世界中に晒した。
奈落の世界に突き落とすのが
天のプログラムだったのか…?
屈辱感に苛まされながら、
(天の目的は、俺を国会議員に
することではない)と、
この事だけは確信した。

他の候補者たちは北原の失敗を
あざ笑うように自信満々演説を終えた。
打ちひしがれた北原には他の候補者が皆、
自分とは比較にならない程、
とてつもなく偉く見えた。

収録後、日高広報担当議員が
「中にちょっと失敗した人がいましたが、
取り直ししなくていいですか?」と
口ごもりながら全員に話しかけた。
「大丈夫です!」非情な答えが
収録室にこだました。
他人の失敗は蜜の味…。

収録後、ビデオテープで全員の
収録状況を見た。
北原は自分の場面をテレビで
改めて見せつけられて身体が
凍りつくような自己嫌悪感に襲われた。
この選挙広報番組は、与野党の
全候補者が登場してNHKテレビで
連日放送される。
数年前から世界中でNHKテレビを
見る事が出来るようになった。
この候補者を見た世界中の有権者たちは、
絶対、この男に投票しないだろうと思われた。
                 (続く)






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2009.08.09 (Sun)

憲政史上初の海外遊説


ハチ公前の自民党広報車上で
パラグアイ国旗を掲げての演説収録後、
山倉が「ちょっと、ベロ咬みましたね」と
苦笑いしながら傍にやって来た。
事務所に戻ると東清隆選挙参謀が
「どうでしたか?」と収録結果を
山倉に尋ねた。
「ちょっと、ベロ咬んじゃいましたよ…」と、
山倉が状況を説明した。
落ち込んでいる北原を心配して東が
つい立ての奥の応接室に呼んで
「選挙はNHKの広報番組だけじゃない
ですからね」と慰めながら、
自分の体験談を話し始めた。
「あの航空史上最悪の事故1985
(昭和60)年8月12日の日航ジャンボ機
墜落事故(群馬県多野郡上野村の御巣鷹山の
尾根に墜落。計524名のうち、
女性乗客4名を除く520名が死亡)に、
実は私も乗る予定だったんですよ。
その日、大阪に出張する予定だったのですが、
電車に乗り遅れてしまったのです。
乗り遅れた時は、地団駄踏んで
悔しがったのですが、後でジャンボ機の
墜落ニュースを聞いて鳥肌が立ちましたよ」
「あの時、全てが順調に行きジャンボ機に
乗っていたら今、こうして北原さんの応援を
することも出来なかったわけです」

東の言わんとする事は痛い程分かった。
「災いを転じて福となす」という諺がある。
その場では人生最悪の事態と悲しんでも
後でそれが実は好転のチャンスだった
ということもある。
元来、「結果全て良し」をモットーと
している楽天家の北原だったが、
NHKショックから立ち直るのに
数日かかった。

NHKの本番収録から3日後の24日、
参院選が告示された。
この日から7月10日迄の17日間、
熱い戦いが始まった。

告示日、午前10時半、渋谷のハチ公前で
大泉公民党総裁の初の街頭演説が行われる。
北原ら公民党比例区代表候補者の内、
数人がその選挙カーの上から第1声を
アピールすることになっている。
北原はその日、早めにマンションを出て
選挙事務所に向かった。
「ぼちぼち出ますか?」東選挙参謀に
促されて午前9時、斎藤事務局長と一緒に
JR山手線で渋谷に向かった。
「ジロウ北原」の襷、白い手袋、
中央選管の許可が印された幟
(これを立てた場所でないと選挙演説も
チラシも配れない)、選挙チラシ、
パラグアイの大きな国旗、北原の勝負服たる
白い背広上下を着込んでの出陣だ。
渋谷に着くと既にハチ公前は大勢の人盛りだ。
公民党の選挙カーはハチ公前に停めてあり、
公民党選対本部のスタッフが慌ただしく
車の周囲を行き来していた。
まだ大泉総裁が来る迄、大分時間が
あるので交番奥、ガード下の喫茶店で
斎藤事務局長と休んだ。
真夏のような暑い日だったにも関わらず
その喫茶店にはクーラーも入ってなかった。
その暑苦しい店内には先客が3人。
アイスコーヒーを注文して二人で飲んだ。
斎藤事務局長は公民党の選挙カーが
気になりそさくさと外に飛び出した。
やがて「行きましょう!」と事務局長が
駆け込んで来た。
大勢の人並みをかき分けて公民党の
大型選挙カーにたどり着くと
東京選挙区公民党選対本部長になっている
小坂三蔵議員が「上がって上がって!」と
手招きしている。
促されて上がると東京選挙区選挙代表の
黒川信男候補、比例区候補者
女子プロレスラー神原忍、山中平蔵、
春本明、梅谷えりこら5~6人が狭い車内で
待機していた。
やがて選挙カー屋根に取り付けられた
演台に大泉総裁が登壇した。
「公民党は学者から新聞記者、
オリンピックの金メダル選手、
女子プロレスラー、海外在住候補者と
多彩な候補者を揃えてこの選挙戦を
戦って参ります!」と得意の大泉節で
公民党候補者をアピールした。

続いて各候補者たちの気合いの
入った選挙演説が繰り広げられた。
北原は持参した大きなパラグアイの国旗を
選挙カー上で広げてもいいか?と
選対役員に聞いた。
「いいですよ」との答えだったので
バーッと上から垂らした。
ハチ公前広場を聴衆と10数台の
テレビカメラが立錐の余地もなく
埋めつくしている。

「先進国で最低の食糧自給率の日本。
ジロウ北原が世界の食糧基地南米から
日本の食糧安全保障を図ります」と
思いきり絶叫した。
この絶叫であの屈辱的なNHKショックから
立ち直った。
このシーンは海外にも報道され
パラグアイの現地紙ABCの1面トップに
カラーで載った。

この日、午後の飛行機便で成田から
ロサンゼルス、アスンシオン、
サンパウロと日本の憲政史上初めての
海外遊説に出発することになっていた。

渋谷での第1声を終えるとすぐ、
斎藤事務局長と後から駆け付けた
ボランティアの玉川正、小田裕美と
新宿に戻るためJR山手線に乗り込んだ。


憲政史上初の海外遊説 


JR山の手線に乗り込んだ北原たちは、
早速、車内で「乗客の皆様お騒がせして
申し訳ありません。
参議院公民党比例区公認候補の
ジロウ北原でございます」と
大声を張り上げて乗客にチラシを
配って歩いた。
露骨に拒否する人、珍しそうに受け取る人、
様々だった。
新宿駅の一つ手前、代々木駅で降りた。
事務所迄の距離は新宿駅と代々木駅とも
ほぼ同じだった。
事務所に戻ると、勝俣謙がトランクを
用意して既に待機していた。
勝俣は「海外日本人を国会に送る運動」
ロス支部の安田事務局長が紹介した人物で
北朝鮮拉致被害者を支援する会の
メンバーだった。

垨被害者を支援するためわざわざ
キャンピングカーを購入し、全国どこでも
その車に寝泊まりして支援活動を行っており、
ロスにも被害者家族とともに行き支援を
訴えたという熱血漢だ。
その折にジョウージ安田事務局長と
知り合った。
彼は国内支援だけでなく
「海外に支援活動を広げる運動」を熱心に
行っている。
その運動は、「日本人拉致問題を正しく
理解し支援の輪を海外に広げるプロジェクト」
代表・勝俣謙というのが正式名称だ。
彼は演劇をやっている。
「殺され役など、ちょい役をやっています」
という彼は、勿論、それだけでは食えず
いろいろとユニークな商売をやっている。
彼が拉致問題の支援に目覚めるきっかけと
なったのは、神戸大震災にボランティアと
して参加したことがきっかけとなった。
彼は一旦しゃべり出すと中々止まらない
熱い男だ。
その勝俣がロスまで同行することに
なっている。

北原は勝俣と斎藤事務局長の3人で
新宿駅から成田エキスプレスで
成田へ向かった。

「憲政史上初めての海外遊説」ということで
成田空港で記者会見が予定されていた。
斎藤事務局長がマスコミ取材のため
VIPルームを用意していると言った。
成田のその部屋に行くと既に新聞社、
テレビ局のカメラが待機しており、
すぐに記者会見が始まった。

ロス迄のフライト約10時間。
ロスは時計の針をタイムスリップして
日本の前日、6月24日朝到着。

「日本人代表を国会に送る運動・北米部」
代表の末友八郎、長野、寺岡佳津子らが
「ジロウ北原」の幟旗を持って
迎えにきていた。
寺岡佳津子は北原と同じ
「新・ノアの方舟運動」でパラグアイの
イパカライファームで共に生活した
仲間である。
同方舟が沈没した際、寺岡夫妻は、
当時4歳だった娘由利を連れてロスへ
再移住したのが25年前だった。
ロスでは夫和人が建築設計事務所を開き
夫婦でその事務所を切り盛りしてきた。
娘の由利はアメリカの大学を出た後、
アメリカ人と結婚し、今、最先端の
投資会社のバリバリのキャリアウーマンと
なって日本の不動産や企業買収に
辣腕を奮っている。

長野の運転する車でリトル東京の
ホテル都インにチェックインする。
午後4時から同ホテルで記者会見が
予定されている。
その間を利用してリトル東京の周辺を
遊説することになった。
安田事務局長が大声で「ジロウ北原!」を
連呼する。とにかく彼は声が大きい。
沖縄出身の彼はロスで運輸業で成功し、
沖縄では立志伝中の人物として有名だ。

昼食時間も終わった時間帯だったので
人が少ない。中に数人、日本からの
観光客がもの珍しそうに
「日本に帰ったら投票しますよ」と
声をかけてきた。
かって、この地域はアメリカ最大の
日本人街として賑わい、ロスの日系社会の
中心的な地域だった。
ホテルニューオータニや日本企業、銀行、
日本食レストラン等が立ち並び1992年に
建設された全米日系人博物館などもある。
しかし、近年、日本からの観光客も伸び悩み、
昔の活況を失いつつある。
地元の日系社会も振興策をあれこれ
考えているがどれも決定打になっていない。
それに日系社会居住区が南の
トーランス地域に移っているのが何よりも
大きな打撃になっている。

午後4時からホテル都インのサロンで
記者会見。
NHKTVから、民放テレビ局全社、
それに全国紙の記者がずらり勢ぞろい。
次々鋭い質問が北原に浴びせられる。
午後7時からホテル近くの
日米文化センターで
「海外日本人代表を国会に送る運動・北米部」
主催の総決起大会が催された。
70代、80代のロスを代表する知名士、
サンフランシスコから駆け付けた青年や
地元30代の女性2人が壇上から熱い
応援メッセージを披露した。
彼等はいずれも日本から数年前、
ロスやサンフランシスコに永住している
若者たちだ。
現地日本語テレビやラジオ等に
美容エステやカラー占などでよく登場して
結構若者たちの間では知られている
タレントだった。
彼等は海外から見た日本の問題点を
舌鋒鋭く取り上げた。
ロスまで随行してきた勝俣謙も壇上で
メリハリの聞いた演説で役者の片鱗を見せた。
彼等の熱いメッセージを聞いているうちに
北原もボルテージが上がり、
いつになく絶叫調の演説をして会場の
参加者を大いに盛り上げた。
ヒートアップした会場は9時迄の予定が
30分もオーバーしてしまった。
この模様はNHKとフジテレビが
最後迄収録した。

ロスまでの往復切符で同伴してきた勝俣は、
翌日の便で日本へとんぼ返りで帰国した。

翌26日、北原は一人ロス発の便に乗り、
サンパウロ経由アスンシオンに向かった。
ロス発VARIG便14時30分、
サンパウロ着午前6時10分。
ロスからサンパウロ迄約12時間のフライト。
サンパウロで約3時間トランシットルームで
待ち時間がある。
サンパウロからアスンシオン迄
約1時間40分。
アスンシオン着11時10分。
                (続く)






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2009.08.14 (Fri)

ブラジルでサンバを踊る

アスンシオンからサンパウロへ


4カ月振りに戻ったパラグアイの6月下旬は
冬である。
しかし、降り立ったアスンシオンは春の様な
陽気で快晴だった。
「昨日迄ものすごく寒かったのですよ」
パラグアイの後援会事務局長をしている
山岡寛が空港から南米ジャーナル本社へ
向かう車中で言った。
午後2時からレストラン土佐サロンで
総決起大会を行った。
折から来パ中の世界緑化協会の
ウルグアイ総局山上理事も当総決起大会に
参加した。
来賓が次々激励のエールを送り北原も期待に
答える旨の昂揚した挨拶をした。
熱い拍手に送られて再び
アスンシオン空港へ向かう。
アスンシオン滞在6時間弱で17、05分の
VARIG便でサンパウロへ飛び立った。


ブラジルでサンバ


サンパウロ着19、45分。
ブラジルとパラグアイの時差があるので、
実際の搭乗時間は1時間40分である。
空港には、広田ルイスが迎えに来ており
彼の車で日系パレスホテルへチェックイン。
ホテルには地元邦字紙の赤木パウロ社長と
世界緑化協会南米駐在代表の鈴木忠が
ロビーで待っていた。
2人から当地のスケジュール説明を受けて
部屋に入った北原は時差ぼけ調整剤
メラトニンを通常の3倍に当たる
6錠飲んでベッドに転がり込んだ。

翌27日(日)、早朝6時、北原は
リベルダーデ広場でのラジオ体操に
世界緑化協会の鈴木忠と
「海外日本人代表を国会に送る運動」
の黒田弥太郎サンパウロ支部長と
共に参加した。
このリベルダーデ広場は、
ガルボンブエノの東洋人街の起点、
地下鉄リベルダーデ駅前にある。
昔は日本人街と言う名前だったが、
今では中国人や韓国人が多くなり
東洋人街と名前を変えた。
この広場では毎日曜日、焼き鳥、たこ焼き、
焼そばなどの屋台が出て大勢の
サンパウロっ子で賑わう。

ラジオ体操を一緒にしていると
1台のバスが到着した。
バスから降りて来たのはサンパウロの
「歩こう会」のメンバーだった。
アリアンサにある田場農場から夜行で
帰って来た一行だった。
彼等もラジオ体操に加わった。
ラジオ体操が終わると、田辺と黒田の2人が
彼等に「公民党公認、ジロウ北原」と
襟に染め抜いた赤い法被を配った。

やがて50数名の高齢者揃いの静かな
赤い法被軍団がゾロゾロと
ガルボンブエノ街を
ホテルニッケイパラセに向かって
行進をはじめた。
先頭にはやはり赤い法被を着た北原、鈴木、
黒田の3人が「公民党公認・ジロウ北原」と
書いた横断幕を持って進んだ。
それは奇妙な一団だった。
朝7時過ぎのガルボンブエノ街は店も
人通りも少ない。
それでも救急病院前にたむろしている
ブラジル人たちがモノ珍し気に眺めていた。
デモンストレーションとしては
余り効果はなかったが、ホテル前で
記念写真をとることで一定の目的は達した。

当日、午後、ニッケイパラセホテルの
2ブロック下の角にある日伯文化協会で
挙行されている移民芸能祭に北原は
飛び入り参加することになっていた。
舞台上から挨拶して
カラオケを歌う予定だった。
歌についてはブラジル側の鈴木、
黒田と東京の選挙事務所の
斎藤事務局長との間で何度かメールや
電話でやり取りし、「上を向いて歩こう」を
歌って会場のみんなと
合唱する事になっていた。
所が文化協会の1室で待機していたら
「カラオケは中止になりました」と
黒田が北原に告げた。
何でも関係者の一部から
「日本のテレビ、新聞社などの報道陣が
来ている中、真面目な選挙にカラオケなどを
歌うと軽くみられる」という意見が出て
中止になったということだ。

早朝の赤い法被軍団大行進時には
一人もいなかった取材陣が午後になると、
どっと押し寄せた。

司会が「海外日本人代表として参院選に
出馬している公民党公認候補
ジロー北原さんです!」と紹介する。
舞台正面に北原が進むとその後に
後援会関係者が「ジロウ北原」の幟を
持って勢ぞろいする。
舞台下にはテレビカメラが
ズラリ待機している。
ロスからの同行取材の局スタッフ、
現地の代行取材班等、日本の主要メディアが
勢揃い。
こんなに日本のマスコミが集結したのは
皇太子来伯以来のことだそうだ。
北原は黒田、鈴木らとブラジル移住者向けに
修正した演説文を分かりやすく
諄々と話した。
会場に来ているお客さんは殆どが高齢者だ。
ブラジル日本人移民は1908年の
第1回笠戸丸が嚆矢でコーヒー農園の
雇用農として移住してきた。
2008年に移住100年祭を迎える。
移住者たちは皆、筆舌に尽くしがたい
苦労を重ねてきた。
会場につめかけている高齢者たちは、
一様に人生の苦節の深い皺をきざんでいる。
北原の胸に熱い感動が沸き起こった。

北原は、文化協会会館一杯を埋めた
人々に万感の想いを込めて訴えた。
「私もパラグアイの1移住者です。
日本政府は人口削減のためブラジル移民を
国策として奨励した。
ヨーロッパ各国は移民を海外の貴重な
資産として様々な支援をしてきている。
それに比べて日本は、一旦、国外に出た
日本人を棄民として『現地に同化せよ』と
説くばかりで同じ日本人としてみていない。
在外原爆被爆者然り、先に施行された
在外選挙権も比例選挙だけを与えて
選挙区選挙は与えていない
半人前の扱いである。
ヨーロッパの国々は在外選挙区を設けて
海外から各国の国会議員に当選して
国際的な視野でそれぞれの国政の
舵取りをしている。
『皆さん方、ひとり一人が外交官です』と
日本から来たエライ人たちは
外交辞令でおっしゃる。
しかし、彼等は移住者の苦難の歴史も
移住者が海外に存在する重みも何も知らない。
皆さんたちこそが日本人の尖兵として
『日本人の名誉を汚すまい』と
歯を食いしばって頑張ってきたからこそ
『ジャポネ ガランチード』
(日本人は信用出来る)という信頼の
ブランドをかち取ったのです。
ヨーロッパ人たちが銃とバイブルを持って
原住民を皆殺しにして広大な土地を
我がものにしました。
遅れて鍬と食べ物の種子を持って
南米大陸に登場した日本人移住者たちは、
苦節の末、今、豊穣な食べ物をこの大地に
もたらせたのです。
南米大陸にヘンポンと日の丸の旗が
はためく土地が数百万もあります。
その日の丸がはためく土地は
それぞれの日本人移住者の心の中に
はためいているのです。
私は皆さん方移住者のため、
『ご苦労様』のお礼の意味を込めて
全力で老齢福祉年金を受給出来るように
努力します」

ちょっと固過ぎたかな?と反省しながら
舞台を降りると南米メディアサービスの社長、
小田三郎が舞台脇から駆け寄って来た。
「何でカラオケ歌わなかったの?
テレビ局の連中はそれを撮ろうと
皆ここに待機してたんだよ」と詰問調で
北原に問い質した。

小田は北原と大学で一緒にラグビーをした
同期である。
大学を離れてお互い出会うこともなく
30年近く経ったある日、彼が
アスンシオンの北原の新聞社に
スコッチウイスキーを手みやげに
取材協力の依頼に来た。
お互い初対面の挨拶をしたものの
(アレッ?)「小田君じゃないか?」
「何だ北原かよ~!」と30年振りの
再会を果たして以降、交流を続けている。
今回の北原の出馬に関しても彼の尽力は
大きなものがあった。

詳しく彼に弁明する暇もないまま、
文協を出ると4トントラックを改装した
選挙カーに乗り込んだ。
車体ボディー両側には、
「公民党比例区公認候補・ジロウ北原」と
派手な横断幕が取り付けられている。
日本の憲政史上初めて海外で選挙カーによる
遊説がスタートした。

文協前からリベルダーデ広場迄の
東洋人街ガルボンブエノを
スピーカーのボリュームをガンガン上げて
ゆっくりと走る。
選挙カーには
「ジロウ北原・公民党公認候補」と書いた
赤いハッピを着た関係者たちが
目一杯乗り込み上気した顔で沿道の人々に
手を振る。
まさにお祭りである。
選挙カーの前後左右にテレビカメラ、
新聞社のカメラマンが遅れじと
小走りに移動する。
途中、何事かとブラジル人たちが
目を丸くして見つめる。
「日本の参議院議員の選挙戦で~す!」と
マイクで二世の県人会長がポルトガル語で
説明すると、一斉に手を振って
「ガンバレ~!」と一緒になって大騒ぎする。
東洋人街にお祭り騒ぎの選挙戦が出現した。
リベルダーデ駅前広場は毎日曜日恒例の
東洋市(焼そば、たこ焼き、イカ焼き、
かき氷などの屋台で賑わう)が
催されており大勢の人たちで
ごった返している。
その広場の一角に選挙カーを止める。
サンバ


トラックを止める場所は既に確保されており、
そこに振り袖姿の日系二世の
セニョリータ4名と褐色の
ブラジル人美女3名、タンバリン等
打楽器奏者3名が待機していた。
選挙カーが止まるとサンバ隊が陽気な
リズムを奏でる。そ
れに合わせて褐色の美女たちが腰を
くねらせて踊り始める。
北原も促されて美女たちの踊りに加わる。
180センチ近い彼女たちは更に
ハイヒールを履いているので
北原がまるで子供のように見える。
北原は彼女たちの豊満な腰に手を添えて
ギクシャクしたサンバを踊る。
はた目には何ともユーモラスな
ダンスシーンであった。
賑やかなサンバが終わると後援会の幹部が
北原に七夕飾りに必勝祈願を書く様に、
と筆ペンと短冊を渡した。
北原は一瞬目をつぶって短冊に
「必勝!ジロウ北原」と書いて用意された
竹笹に吊るした。 踊り子たちは
リオのカーニバルでも有名な
サンバチームであった。
勿論、このシーンはバッチリ日本を
代表する全国紙の紙面をカラーで飾り
テレビでも放映された。

興奮に包まれた同夜、ガルボンブエノの
居酒屋で関係者たちが集まって
怪気炎を上げた。

翌28日、深夜、
JAL便サンパウロ発23時55分で
サンパウロを発った。
成田には、30日、13時に到着した。
6月24日の参院選公示日、
渋谷ハチ公前で第1声を上げた後、
成田空港から海外遊説に飛び立って
7日目の日本帰国であった。
成田に着いた北原は、羽田に向かい
同日18時20分のANA便で
大分に向かった。大分には
20時05分に到着。

いよいよ主戦場日本での本番決戦が始まる。
                (続く)





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