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2005.11.02 (Wed)

日パ蜜月時代到来の予感…

イヤァ~、亮編集長が29日の土曜日から体調を崩して
ハテサテ困ったもんだ…。
ーと頭を抱えたが、編集者かおりさん、ノリさんら
スタッフ一同が連日大奮闘!

何とか今日1日、印刷にこぎつけることが出来てホッ…。

今号は、ニカノル大統領が日本に公式訪問中で、小泉首相との
ツーショットの写真も掲載出来た。

さらにこの4月オープンしたばかりの京都迎賓館で初めての
首脳会談が実現した。

普通ならパラグアイ程度(失礼!)の首脳では考えられない
京都迎賓館での首脳会談実現には、
当パ国に投資している京セラの稲森会長の尽力があったという。

首脳会談では、来年の日本人移住70周年祭、史上初めての
日本人大使(帰化)の田岡大使、日系二世のホセ・ケイ金沢
パラグアイ国軍最高司令官や日系移住者の活躍ぶりなどの
話題で大いに盛り上がったようだ。

また、海外在の日本商工会議所主催のビジネスセミナーを
日本で開催したのもパラグアイが初めて、といろんな分野で
パラグアイを日本にアピールしている。

これらの相乗的な効果で何とか「パラグアイ視察ミッション」
も来年には実現しそうだ。

これから日パの蜜月時代が到来しそうな予感しきり…。




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2005.11.04 (Fri)

日系メディア史について

「出来たら10月中に日系メディア史をまとめて
欲しいのですが…」
日本人移住70年誌編纂委員会の高橋委員長と
広内シニアに頼まれた。

「ハイハイ…」と気楽にお引き受けしたのはいいのだが、
バタバタと連日忙しさにかまけてアッと言う間に
11月に入ってしまった。

弊社の創立が1980年4月で、その前にあったのが
「サンデーパラグアイ紙」だ。

「サンデーパラグアイ」は、8ページのタブロイド判
週刊紙で僕が1976年に来た時から発行されていた。
編集長は、村山保親さんで冗談好きな社交的な人だった。

僕もサンデーパラグアイ紙の愛読者だったが、
80年、今操さんと共同で「日系ジャーナル」を
発刊して競合した。
3年位競合しただろうか…?

サンデーパラグアイが廃刊したので、
その後は、日系ジャーナルだけとなった。

サンデーパラグアイが何時創刊したのか
調べないといけないが、その前には、
パラグアイ新報(旧・週刊パラグアイ1963年創刊)が
発行されていた。
このパラグアイ新報は、「ラジオ日系」も放送していた。
また、1973年のストロエスネル大統領の日本公式訪問
を記念して「パラグアイと日本」という400ページもの
立派な記念誌を発行している。

この編集主幹、奥畑喜代明氏が時の種谷大使の
モンテカフエーを紙面で攻撃して
種谷大使の反撃を食らって新聞発行停止となり
国外追放処分となった。

一方、種谷大使も日本の外務省のお叱りを受けて
結局、喧嘩両成敗となって失職した。

この事件は、何しろ僕が来る前の事件で
人伝に聞いた程度なので今いち、
具体的な事実関係をお伝え出来ないもどかしさがある。

従ってこの奥畑氏とはすれ違いで面識がない。

何れにしても日系メディア史は、弊社の責務として
きっちりまとめたい。




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2005.11.05 (Sat)

「移住70周年祭を10月に変更して」とのハガキ

祭典日の再変更はムリでしょうねぇ~

来年9月8日はパラグアイ日本人移住70周年祭だ。
祭典委員会もそれに向かって準備を着々と進めている。

今日、大分県のAさんからハガキが届いた。
この人は、この祭典に日本から祝賀使節団を送ろうと
一生懸命奮闘されている。

Aさん、竹田市とこちらのサンロレンソ市が
姉妹都市なので竹田市から祝賀団を送ろうと
市長に会って話をした所、
「9月は議会の月で日本中どこも議会で都合が悪い、
10月か11月に変更出来ないですか?」と
市長に言われた。

「何とか変更してもらうように祭典委員会に相談して
くれませんか?」とのハガキである。

実はこの祭典日は以前、7月に予定されていた。
しかし、祭典予定地のセントロニッケイの会場は、
パラグアイの夏向きに造っているため壁面全部を
塞いでいない。
つまり、2面がオープンになっている。

パラグアイの7月は、冬真っ盛りである。
南極からの南風が吹きつけて寒い。
「内外からの賓客を吹きっさらしの中で何時間も座らせての
祭典は失礼じゃないか」(コレ、僕の発言です。スミマセン)
との異論が出た。

また、丁度その時期、ドイツワールドカップサッカーの
決勝戦に当たることも判明した。

「サッカー命、のパラグアイ人の皆さんは、
祭典どころじゃないゾ!」という声が上がった。

そして9月8日に変更された、というワケだ。

それを今さらまた変更、というのも
ちょっと言い辛いが、ハテサテ…。




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タグ : 移住70周年

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