2005年05月/ 04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月

2005.05.10 (Tue)

合縁機縁で誕生した「日・パ交流協会」

長らくさぼってしまった。

実は、……と、続くと言い訳になってしまうのだが、
「日本・パラグアイ交流協会」(主宰・ミチオ高倉)の
日本側の事務局長たる熊本武一さんが4月30日来パし、
ずーっと昨5月7日(土)迄、アテンドしていたものだから…。
やっぱり、言い訳になってしまった。

彼、熊本さんは、私の大分舞鶴高校時代の1年後輩で
一緒にラグビーで汗を流した仲間だ。

ポジションは、ウイングで足が速く太ももを高く上げて走る
姿が今も目に焼きついている。

熊本さんとは昨年、私が選挙(参院選)に出た時、
大分の友人から千葉に熊本さんがいることを教えられて
電話で知人、友人を紹介してもらうハガキの依頼をした。

ーで、選挙は惨敗を喫したのだが、
パラグアイに帰る前、妻と一緒に彼の
千葉のマンションに2週間程、
泊めてもらった。

高校を出てから45~6年振りの再会だった。

稲毛の駅に昔のままの素朴な風貌の彼が迎えに来てくれた。

稲毛のマンションは、彼の事業が好調な時に購入したとかで
最上階の海が見える角地で最高のロケーションだった。
惨敗した後、関係者と自民党の先生方に
お礼の挨拶周りをした。

帰国便が満席で中々取れず、1~2週間滞在しなければならなくなった。

ーかと言って、ホテル住まいは選挙でお金を使い果たした
身にとってはそんな余裕もなく、東京近辺の山寺にでも
泊めてもらおうかと困っていた時に「うちの遊ばせている
マンションに泊まったらいいですよ」と言ってくれたのを
「天の助け…」とばかりに泊めてもらった。

彼は会社が終わると毎晩のようにさりげなく
千葉市や稲毛のレストランや居酒屋に
私たち二人を誘ってくれた。

そんな彼にパラグアイの紹介をし、「日本とパラグアイの
民間ベースの交流をしたいのだが…」という話の中から
「日本・パラグアイ交流協会」が設立された。

当分は、気心の知れた彼とのキャッチボールをしながら
徐々に実のある形にしていこうと考えている。




ランキングに登録しました。
良かったら、クリックして下さい。


テーマ : エッセイ - ジャンル : 小説・文学

タグ : 日本・パラグアイ交流協会

15:04  |  エッセー  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005.05.11 (Wed)

世界1のイグアスの滝

taki2.jpg


日・パ交流協会の熊本事務局長を案内して
世界一の大瀑布 イグアスの滝に行った。

4、5年振りだろうか?

滝は今年の干ばつで中瀑布になっていた。

以前は、各自の車で滝の下り口まで行けたのだが、
今は、数キロ手前で駐車場に車を停めて
観覧バスに乗り換えてホテル・カタラタ前(滝の入り口にある)
まで行く。

実は、ピンクのこのホテルに宿泊したかったのだが、
ブラジル側のホテルに泊まるのに日本からのツーリストは
ブラジルのビザを持ってないと泊れない。

パラグアイの永住権を持っている僕らは泊まることは
出来るが、彼はビザを取る時間が
足りなかった(1週間以上かかる)ので
今回はパラグアイ側から1日ツアーの形で滝見学をした。

日帰りツアーであれば、ビザは必要ない。
日本人が南米でビザが必要な国はブラジルだけだ。

日本でブラジルのビザが取れなかったらパラグアイで
取れば2日で取れる。

いろんな意味でパラグアイは南米ツアーの拠点になる。

パラグアイ政府も最近やっとその点に気づいて
アスンシオン空港を南米のハブ空港にしようと
努力を始めた。

何しろ南米のハート、臍とも呼ばれるこの国は
アルゼンチン、チリ、ブラジル、ボリビア、ウルグアイと
近隣諸国に行くのに1時間半から2時間程度で行けるので
旅の拠点として格好の場所だ。



ランキングに登録しました。
良かったら、クリックして下さい。


テーマ : パラグアイ - ジャンル : 海外情報

タグ : 日・パ交流協会 イグアスの滝 旅行

15:07  |  観光  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2005.05.18 (Wed)

南米史上最大の戦争「3国戦争」 その1

1811年、独立を果たしたパラグアイは、
独立以来、啓蒙専制君主カルロス・アントニオ・ロペス大統領
(1844~62)の努力によりブラジル、アルゼンチンの
2大国に挟まれながら国力を充実した。

C・A・ロペス大統領は、国の基盤を作る間、
鎖国制度をとり、ヨーロッパに留学生を派遣したり
専門家を招聘したりして各分野の最新技術を導入して
南米最初の鉄道や製鉄所を建設。
南米有数の先進国となった。

1862年、C・A・ロペス大統領の死後、
その息子、フランシスコ・ソラノ・ロペスが大統領に
就任すると一気にパラグアイを取り巻く国際環境は一変した。

元々、植民地政策を進めてきた南米各国の国境線は
不確定のまま火種を抱えたまま燻ってきた。

野心家で南米のナポレオンを夢見た
F・S・ロペス大統領は、
国境問題を一挙に解決しようとした。

彼が目をつけたのがウルグアイであった。
ウルグアイは、ブランコ(白)派とコロラド(赤)派が
永年争い政情不案が続いていた。

ロペス大統領は、海への出口を確保するため
ブランコ派と手を組み軍事援助をした。

これに対しコロラド派を支持するブラジル、
アルゼンチンが反発。

ウルグアイの内乱は結局、コロラド派が勝利した。
そして1865年、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの
間に対パラグアイ3国同盟条約が締結された。

かくして南米史上最大の戦争「3国戦争」が勃発する。


*写真は世界でも珍しい表と裏が異なるパラグアイ国旗

kokki-uraomote2.gif


  paraguay.gif




ランキングに登録しました。
良かったら、クリックして下さい。


テーマ : パラグアイ - ジャンル : 海外情報

タグ : パラグアイ 国旗 3国戦争

15:10  |  パラグアイの歴史  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
 | HOME |  NEXT