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2005.04.03 (Sun)

ピサロより6年前にインカ帝国に侵入した男

中米カリブ海のサントドミンゴに
コロンブスがアメリカ大陸だと勘違いして
到着したのが1492年。

南米にヨーロッパ人が到着したのが
1500年、ポルトガル人が最初とされている。

その後、スペインも負けじと後に続き
Conquistadores(侵略者)たちの
南米蹂躙が始まる。

パラグアイを最初に発見したのはポルトガル生まれの
Alejo Garcia(アレホ ガルシア)だった。

彼も他のコンキスタドールたち同様、黄金伝説にかられて
ラプラタ川奥地を他の仲間3人と一緒に目指し
パラグアイに辿り着いた。

彼はポルトガルの探検船団の一員としてラプラタ河まで
到達したが船長がインディオに殺されたため
スペインに帰る途中、ブラジル沿岸で暴風にあい
船は遭難。

ガルシアは仲間とともにサンタ・カタリナ島に流れ着いた。
この島にはグアラニー系のカリオスと呼ばれる平和的な
インディオが住んでいた。

彼はここでグアラニー語をマスターし、ラプラタ河流域に
あると言われたエル・ドラード(黄金郷)の噂を聞いた。

彼は巧みな弁説でインディオたちを巻き込み
ラプラタ河を北上し現在の
パラグアイの首都アスンシオン付近に着いた。

当地にいたのは白人に友好的なインディオ、
グアラニー族だった。

だが、パラグアイに黄金はなかった。
そこで彼は、ここのインディオたちを手なづけて
インカ帝国攻撃の拠点とした。

彼とインディオ達の混成軍は、
インカ帝国の南端まで侵入し
金銀製品を強奪した。

しかし、インカ帝国も結束して対抗したため
一時撤退を余儀無くされた。

彼はサンタ・カタリナ島の白人の仲間に
強奪した金銀製品の一部と手紙を送って救援を求めた。

しかし、彼は味方インディオの裏切りにあって
仲間3人とともに殺された。

これは、ピサロがインカ侵入を始める6年前の
1525年だった。



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2005.04.04 (Mon)

インカ帝国まで到着出来なかったガボーと

パラグアイの第一発見者、アレホ・ガルシアの次に
登場するのが、セバスチャン・ガボートである。

イタリアのベニス生まれのガボートは、
スペインのカルロス5世国王より
マゼランによって発見された
大西洋から大平洋への通路(マゼラン海峡)を経由
してマラッカに行くように命令された。

航海長に就任したガボートは1526年4月、
乗組員211人、帆船3隻の船団でスペインを出発した。

10月25日、Yuru Animi島に到着した彼は、
その日が丁度、妻の誕生日だったので、この島を
彼女の名前にちなみサンタ・カタリナと命名した。

彼はこの島に住み着いていた白人達(アレホ・ガルシアの
仲間など)やインディオたちから、パラナ河をさかのぼり
西に行けば黄金郷があると聞かされてマラッカ行きより
金銀探しに行った方がスペイン王国のためであると
理由をつけて協定書違反を心配する部下たちをなだめて
パラナ河航行を決意した。

しかし、この航海は困難を極め、蛇やとかげなどを食糧に
しながら何とかパラグアイ河口に到着した。

そしてここのインディオたちが金銀の腕輪、首飾りその他の
金属製品を多数持っているので、その出所を聞いた所、
パラグアイ河をはるかにさかのぼった所にあるとの答えを
得た。

勇躍パラグアイ河をさかのぼって行ったが途中でアガセス族の
襲撃を受けたので一旦、体制を立て直すために引き返した。
そこへスペイン国王よりリオデ・ラ・プラタ流域の正式な
開発権を与えられていたDiego Garcia Moguer
艦隊と遭遇した。

このディエゴ艦隊は、ガボート艦隊より3カ月前、スペインを出港
していたが、途中で遅れてラ・プラタ流域に到着した。
協定違反をして黄金郷を目指していたガボートには、
正式な当地域の開発権を与えられていなかったので
2人の航海長の間でもめた。

結局、両者の仲たがいがすべてを台なしにした。
両艦隊は1530年、空しくスペインに帰還した。

もし、両者が協力してパラグアイ河をさかのぼっていたら
莫大な金銀とインカ帝国征服という歴史的な偉業を達成
していたであろう。

しかし、この探検でパラナ河、パラグアイ河を発見したことは
スペインで大反響を呼び、
Pedoro de Mendoza 大艦隊派遣の糸口
となった。



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タグ : インカ帝国 パラグアイ スペイン 歴史

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2005.04.06 (Wed)

アスンシオン創立

スペイン王室は、ラ・プラタ流域の
開発に乗り出すため、次々大船団を
派遣した。

本格的にラ・プラタ河流域に拠点を築いたのは
Pedoro de Mendozaだった。

彼は11隻の帆船に1500人を乗船させ
1536年2月、現在のブエノスアイレスに
到着し、城塞を築いた。

彼は1537年、スペインへの帰途、死亡した。

都督Mendozaはスペインへの帰国前、
部下のJuan Ayolas
を隊長に任命してブエノスアイレスから奥地ペルーに至る
道を発見しようと北上させた。

彼は今のグランチャコを西へ向い
12年前にあのAlejo Garciaが
到達したCharcasに着いた。

彼はここで金銀細工の品々を手に入れベースキャンプに
戻った所でインディオたちに襲われ命を落とした

一方、都督Mendozaは、体調をこわし
スペインに帰る前、北方探検に出した
Juan de Ayolasの帰りが遅いので
Juan de Salazar大尉に命じて
探索を命じた。

大尉は、その途上、Irala大尉に遭遇した。
結局、Ayolas隊長が見つからないまま
現在のアスンシオンの大きな入り江に戻った。

ここのインディオの酋長カラカラとは、北上する際に
食糧を供給してもらうかわりに、帰ってきたら
必ず当地に城塞を築く約束を交わしていた。

Salazar大尉は、約束通り
インディオたちの協力を得て城塞を築城し
1537年8月15日、落成した。

この城塞は
Nuestra Senora Santa Maria
de Asuncion と名付けられた。



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