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2005.01.21 (Fri)

ミチオ高倉 再デビュー

知る人ぞ知る、知らない人も知ってほしい、日本を世界を席巻した「ミチオ高倉」のホームページを先般、閉鎖してここにブログをスタートしました。

2005年1月18日に遅ればせながら、日系ジャーナル新年特別号も完成し、まずはホット一息…。

インド洋大地震、大津波…。第2、第3の大災害が近年中に起きるとの噂が流布している。裏情報によると、あれは人工地震なんだって…?
何でもインド洋のディエゴ・ガルシア島の米軍基地が怪しいってことらしい。

 しかしまあ、いずれにしろ地球規模の地核変動が生じているやに見受けられる21世紀、こうなると地震と海のない国、パラグアイがかえって無性にありがたく感じられてくる。

何もないホントにな~んにもない南米大陸の内陸国パラグアイ…。

南米大陸のスピリチュアル スポットなんですよ、パラグアイは…。
サザンクロスの下、森の中の風に吹かれてナチュラルメッセージを伝えていこう。


▼海外日本人代表「ミチオ高倉」歴史上初めての海外遊説

2004年7月、初の海外日本人代表として参議院選挙に自民党公認比例区代表候補として立候補して半年が過ぎた。結果は自民党比例区公認候補者として最下位の惨敗でしたよ。自民党の正式公認を受けたのが、5月30日、そして参院選告示が6月24日。
7月11日迄の投票日までの17日間、余りに短い選挙戦だった。

▼サンパウロでサンバを踊った「ミチオ高倉」


告示日当日、渋谷のハチ公前で自民党の小泉総裁が第一声を振り絞った選挙カーの上でパラグアイ国旗を大きく掲げて「食料自給率40%、世界の食料基地南米のミチオ高倉が日本の食料安全保障を構築します」と絶叫後、成田空港からロス、パラグアイのアスンシオン、そしてブラジルのサンパウロと歴史上初めての海外遊説に飛び立った。サンパウロではサンバ隊もくり出してのド派手な選挙風景はNHKを
はじめ日本の民放テレビ局全部が撮影したので、御覧になった方も多いだろう。

残念なことにこのサンバを踊る風景は、7月11日、投票日も終了した夜に放映されたので直接、票に結びつかなかった。

南米パラグアイから落下傘で日本にフワリと舞い降りて、地盤、看板、かばん、と何も無しの国政選挙への挑戦。

▼マスコミが大きく取り上げ有力当選候補者としたテレビ局も

海外在住の日本人の投票権が認められたのは先進国では最も遅く99年に国会で可決されて2000年の衆議院選挙から実施された。といっても国政選挙で投票出来るのは比例代表選挙だけで選挙区選挙は認められていなかった。これといって目玉のないこの参院選、マスコミは競って初の海外日本人代表候補者、「ミチオ高倉」を取り上げた。テレビも朝のモーニングショウで実名は上げないものの南米パラグアイからの無名の候補者を紹介してくれた。比例区候補者のタレント候補がスポーツ新聞に面白おかしく取り上げられたのに比べて海外日本人代表の挑戦は、朝日、読売、毎日、産経、日経の大新聞、また地方紙でも掲載され、マスコミ関係者の間では、大きく注目されたんですよ。

選挙戦途中、ある民放テレビ局から選挙事務所に電話が入った。
「弊社の調査ではミチオ高倉さんは、有力当選候補者リストに入っているので投票日中継車やテレビカメラを設置するための下調査に伺いたい」というものだった。

この電話に事務所スタッフから、ワッと歓声が上がったもんだ。


▼NHKの政見放送で大失敗


参院選告示日前の6月21日、午前11時から渋谷のNHKで各政党比例区候補者の政見放送本番録画が行われた。自民党は各政党のトップで撮影準備に入った。安倍幹事長が各候補者を紹介することになっており、本番前、1回だけリハーサルが行われた。各人持ち時間は30秒。自民党比例区候補者33人はあいうえお順になっており、僕は真中位だった。リハーサルの時、1カ所、とちった。嫌な予感がした。

 そして本番、みんな歯切れよく順調に進んでいった。安倍幹事長が「始めての海外からの立候補者ミチオ高倉さんです」と紹介する。
別にドキドキもしてなく冷静の積もりだった。
「コモエスタ ニッポン!ミチオ高倉です。南米28年、海外から史上初めて国政を目指します。日本から海外への道を(ミチオ)!海外から日本への道を(ミチオ)!ミチオ高倉です!」ーキャッチコピーは抜群。

これまでも東京選挙区の自民党候補者中川まさはる氏の日比谷公会堂や赤坂プリンスホテルなど都内各所での総決起大会に我々比例候補者も序盤演説時間として30秒間、与えられていた。これまで各所で使い慣れたアピール演説だった。

実は、本番放送日4日前、自民党本部で模擬NHKのスタジオを設置し、本番さながらの予行演習も行っていた。この時は、自慢じゃないが、僕の出来が一番良かった。
「広報責任者の八代英太議員が満足そうにニッコリ笑って頷いていましたよ」と一緒に来ていたKさんが耳打ちしてくれた。
万が一にも失敗など考えられない短い演説だった。

所が、途中の「南米28年、海外から史上初めて国政を目指します」の部分が抜け落ちた。
「コモエスタ ニッポン!ミチオ高倉です。…」でしばし絶句、後の文句が思い浮かばなかった。
安倍幹事長が心配そうにこちらを見ている。時間にすればほんの5、6秒だろうか?
「…日本から海外へのミチオ!海外から日本へのミチオ!ミチオ高倉です」何とか飛ばして終わった。

▼惨敗を覚悟


自民党比例区候補者33人の内、とちったのは僕1人だった。
選挙広報委員長の八代英太議員が「中にちょっとまずった人がいたが、撮り直しをしなくていいですか?」
しくじったのは僕だった。八代議員は、暗に撮り直しをほのめかしてくれたのだが、皆勝ち誇ったように、拒否した。そりゃそうだ。ライバルは同じ自民党候補者同士なのだ。他人の失敗は蜜の味だ。

「絶望感に打ひしがれ、へなへなと崩れ落ちる」という表現があるが、まさにその時の僕の状態はそれだった。「人みなわれより偉く見ゆる日」(だったかな?)という啄木の歌があるが、世界中で自分1人がみじめに打ひしがれた劣等生のように思えた。何しろこの放送は、世界中の日本人が見る番組だ。
やがて先ほどの本番収録の録画が放映された。言葉を忘れ蒼白になっているミチオ高倉、誰が見たって意気消沈した人間に国政を託すために1票を入れるわけがない。
 この時、僕は惨敗を覚悟した。

大失態の原因は、分かっている。5月31日に公認されて以降、最終ランナーとしてスタートしたその遅れを取り戻そうと全力疾走し過ぎた。
先に公認された候補者は、既にグランドを何十周も先を走っている。
収録前日も地方の集会に出席して新宿のねぐらに帰ったのは深夜だった。東京駅に着き中央線に乗り込む時、まさに息も絶え絶え、ふにゃふにゃとへたり込む寸前だった。そして収録日、コンビニでドリンク剤を数本飲んだものの疲労困ぱいボ~とした状態は良くならなかった。

▼思考回路を切り替えて「結果全て良し」
 政治家になる以上の天命がこの僕に


さすがにこのショックから数日、立ち直れなかった。
世界中の日本人が見ている番組であんなぶざまな醜態を演じてしまった。
何とも苛酷な試練だ。
しかし、考え方を帰れば、この堪え難い試練を与えられたということは、もしかすると特別な使命を天から与えられた人間なのかも知れない。

政治家になること以上の使命が僕には与えられているのだ。

ウーム、試練は人が成長するごとにより苛酷なものになっていくものだ。
そうだ僕は世界1の残酷な試練を与えられた。そうだそれに違い無い。

人間の思考フォームはうまく作られている。それまでも「結果全て良し」が僕の座右の銘だった。どんな最悪の結果でも思考回路をちょっと切り替えれば「結果良し」となる。これまでも幾多の最悪事態をこれで乗り越えてきた。

天はこの選挙で勝利は与えてくれない。ならばそれも良し。
歌って歌って踊って踊りまくるのだ!
待つは大蛇か奈落の滝つぼか?

そして選挙戦に突入した。

※ 実はこの続きを書く積もりだったのだが、いずれ出版する予定なので版権の問題から「日系ジャーナル」のホームページに連載することにしたので悪しからず。
ちなみに日系ジャーナルのホームページアドレスは、下記の通り。

http://www.nikkeijournal.com


誤解を恐れずに言えば「選挙はオモロイ」
但し、金さえあればネ。

大体おぼろに見えて来た新たな使命って?
「ニッポン人を少しだけ救うぞ~っ」
だって波長の異なる人は聞く耳、持たず。ーですからね~。!

いざ、国難!  っていう時の避難場所、確保していますか?
パラグアイの日本人移住受け入れ枠、あと80、000人弱!

遺伝子組替え大豆の恐ろしさ知っていますか?

日本緊急時、こちらからの食糧輸出だって量が限られていますからね~。

まあ、ぼちぼち自然大豆もそっちに回しますワ。

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2005.01.26 (Wed)

南の国のブンヤ ミチオ高倉

昭和っぽい路地裏散歩・・・焼酎看板

ー別府旅情ー

人気サイトを流していたら、別府の色町云々…。という文字を目にして思わずブラリと立ち寄りました。
思い起こせば、ウン十年前、ストリップ劇場、キャバレー「ボンつるみ」「バンビ」、ダンスホール「紫苑」等々、裏町を這いずり回ったあの狂気の青春時代が、ウーム、懐かしい…。
想い想われ、追い追われ、男と女の情念絵巻。

因果は巡る矢車の、血を吐き、汗かき、泥まみれ…。
まっこと、青春時代というやつは何とも制御しがたい暴れ馬でござんす。

流れ流れて南の国へ、ここはパラグアイ アスンシオン。
今じゃしがないブンヤ稼業…。

ボ、ボカァ~、大分のお町、大分市生まれ。カ、カ、カラスのかみさんは、そう、別府なんですよ。

あのシャッター商店街、楠木銀天街が少しづつ蘇りつつあるって、ホントですか?
そりゃメデタイ! 弊社前の焼き鳥屋「結」のオヤジ(竹田出身)と、いいちこで乾杯しましょう。

数年前、銀天街を歩いたら、こりゃまたホイホイぶったまげ!
シャッターは勿論、あちこち虫食いの駐車場だらけじゃござんせんか!

ボ、ボカーァ、かみさんに言ったね。
「別府市長になっち、別府の街を再生したらどげ~な」
「そげんことしたら、とうちゃん、かあちゃんに怒らるんがえ~」

かっての都町の帝王、ミチオ高倉。 今、硬派のブンヤ…。

灼熱の炎天下、ヒッソリと白いバラが咲いた。

南の国から愛を…。

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2005.07.04 (Mon)

カラガタウの学校の新教室竣工式

昨7/1日、カラガタウの小学校の新教室増築の竣工式があり、
出席しました。

これは、私、ミチオ高倉が会長を務めるオイスカ・パラグアイ総局が
日本大使館の「草の根無償供与資金」を受けて当学校の教室増築と調理室、
運動場、トイレ等の工事を行ったものです。

カラガタウと言う町は、首都アスンシオンから100kmの場所にあり、
その町の30分程先にVapor Queという3国戦争時代の軍艦が展示
している国立公園があります。

そのカラガタウの町には日本人農家が5世帯程住んでいます。
私たちは成るべく日系社会と関係ある地域に何らかのプロジェクトを
これからも進めて行きたいと考えています。
日系社会がバックにあれば、きめ細かいアフターケアも可能になるからです。

caragatay2.jpg

写真はパラグアイ舞踊を踊る学校の女の子




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