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2005.12.15 (Thu)

義経伝説

今回の休憩室にも書いたのだけど、
NHKの大河ドラマ「義経」の最終回、何で最大の見せ場に
「うつぼ」なんてな女の子が出て来て「ナントカカントカ…」
ちゃらちゃらしゃべらせるの?

折角のドラマが白けてしまった。

義経、衣川で自刃という定説には謎が多い。

ドラマにもあったが、4代目藤原泰衡が
企てた義経襲撃前の状況から
見ても、義経襲撃の徴候は、バレバレだった筈だ。

平家との幾多の戦いで天才的な戦闘能力を発揮したあの義経が
むざむざ手をこまねいて討たれた、というのはムリがある。

そこで考えられるのが藤原泰衡の猿芝居ではないか?
という仮説が出てくる。

小説家、中津文彦さんの説によると、
武略あふれる義経に、大陸の騎馬民族を従え、
援軍として連れてくるように泰衡は頼んだ。
ーというものだ。

義経が彼らを軍隊として編成し、
あるいは平泉の黄金で傭兵として雇い入れ、
これで鎌倉軍を防ぐ計画があったのだという考えだ。
平泉軍は前九年・後三年の役以後、
100年も戦争を経験していない。
軍事の最高指揮官になった義経は、
これではとうてい鎌倉に勝てないことを痛感したのだろう。

当時、平泉と大陸との交通は頻繁であったと思われる。

藤原秀衡は、中国(宋)の皇帝に
純金約55トンを送り、代わりに大部の経典を手に入れている
事実からも平泉は大陸の状況をしっかり把握していた筈だ。

義経の北行伝説を丹念にたどると、あの衣川自刃の1年前に
義経は平泉を出発していることになるという。

衣川襲撃は頼朝の執拗な強請に義経逃亡の事実を
隠しきれなくなった泰衡が、義経の影武者
(杉目小太郎行信といわれる)を、
泰衡の祖父、藤原基成の館(衣川館)に討ったという。

泰衡は、祖父の館で偽戦を行ったのだという。

義経逃亡の事実をつかんだ頼朝は、朝廷の院宣を待ちきれず
急きょ、平泉を襲い。
藤原一族を滅亡させた。

朝廷は義経追討の院宣を出し渋っていた。
泰衡はまさか、頼朝が院宣なしで攻撃をしかけてくるとは
思ってもいなかった。
これは、泰衡の計算違いだった。

大陸に渡った義経は、託された潤沢な黄金を使って
騎馬軍団を編成中であった。

しかし、予想外に平泉が滅亡するのが早かったので
日本帰還をあきらめてしゃにむにモンゴルを平定して
あのジンギスカンとなったのではないか?


1189年、義経衣川で自刃。
1206年ジンギスカン蒙古を統一。

歴史年表をみると「う~ん」(それもアリかもナ…?)

壮大なロマンが、一般大衆から消えないのも
ムベなるかな…。




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タグ : NHK

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