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2009.06.12 (Fri)

新連載 6 千乃女史が突然、ファームへ

6、
突然、千乃女史がファームへ!!




「先生」は 、9月上旬、農場にやって来た。
千乃女史はみんなに「先生」と呼ばれている。
本部ホールに全員集合して会合が開かれた。
「みんな元気そうね。勇は、しっかり勉強してる?
あなたは、将来アメリカに行くんでしょう?」
「はい…」
二宮勇(14才)は、 エヘヘ、と照れ笑いしながら頷いた。
この少年は他人と話す時いつも笑顔が
あふれんばかりにこぼれる。
「大豆畑の耕作は順調なの?」
「エエ、後もう少しです」
久保健夫がボソボソ答えた。
みんなは「先生」の言う事を一言も聞き逃すまいと
緊張して拝聴している。
まるで教祖だな、と北原は思った。

北原は千乃女史と会ったのはわずか3~4回程度だから
全く彼女に洗脳されていない。
女史はロスで会った時と同じようにせかせかと
落ち着かず苛立っている風だった。
全員集会は終わり、主だった幹部が残って会合が続いた。
深田リーダー、陰気な顔をした財務担当の秋山明子、
御公家さんのような物腰と喋り方の安藤清(51才)、
そしてあの天才山南の4人が幹部らしい。
秋山明子は千乃女史の古くから秘書を務めていたという。
御公家さんの安藤清は京都の老舗呉服屋の経理を
担当していたとかで女史の信頼があつい。
山南は千乃女史の秘蔵っ子のようだ。

女史はすべて思いつきで行動する。

ある日、いきなり近所で養鶏をやっている
40年輩のイタリア人夫妻を農場に連れて来た。
本部にあるピアノをその奥さんが弾き
主人がカンツォーネを歌う。
「そうどすな~」いつも柔らかい物言いをする
安藤御公家さんが背筋をシャンと伸ばして
かん高い声を張り上げて歌いだしたのには
北原もビックリした。
やがて日本とイタリア歌曲の大合唱が始まる。
次の日はイタリア人の家を訪問して
そこのピアノでまたまた合唱大会だ。

「キムさんとこに行きましょう」
号令一下、岡の上のキムさんの養雛場訪問となる。
キムさんの兄さんは戦前、日本の東大で勉強していたと
いうインテリで日本語ペラペラだ。
農場に毎日来る弟のキムさんは陽気な社交的な性格だが、
兄さんは物静かな紳士である。
女史は誰にでも高圧的な断定的な話し方をする。
キムさんの兄さんは穏やかに女史の話を聞いて
決して反論しない。
一方、弟のキムさんは、
「だめだよう~、そんなことはこのパラグアイで
通用しないよう~」
女史の面子をつぶすようなことを平気でづけづけ言う。
女史はこの兄弟が苦手なのか以後、
2度と会わなくなった。
そして、あのイタリア人夫妻ともバッタリ交際を
やめたようだ。
イタリア人夫妻はイタリア人特有の図々しさを
持っている。
そのことが鼻についたのか、
お互いうまく意思疎通が出来ないまどろっこしさから
やめたのか分からないが、
夫婦が訪ねて来ても会わなかった。
高圧的に自分がリーダーシップをとれない相手は
嫌なだけだろう。 ーと北原は推測していた。

またまたある日「アスンシオンにある動物・
植物園にいきましょう」と全員で出かけた。
その動物・植物園はアスンシオン郊外の広大な
敷地の中に動物園と植物園、博物館がある。
その日は日曜日とあって大勢のパラグアイ人家族で
賑わっていた。
広場の芝生の中でみんな車座になって座り
磯崎青年のギター伴奏で童謡や「荒城の月」など
日本の代表的な歌曲を合唱した。
珍しそうにパラグアイ人達が遠巻にこの風変わりな
東洋人グループを眺める。

またある日は、アスンシオンの洒落たレストランに
全員で行きフルコースの料理を食べさせる
という具合だった。

北原は女史が農場の人間達を強引に
彼女風のやり方で楽しませようとしている様子が
何となく不自然に感じられた。

しかし、そんな一見、楽しそうな日々も
10日と続かず突然、粛正の嵐が始まった。

人員整理 それは突然始まった。
メンバーが次々、本部に呼び出されて
「この農場を整理しなければならなくなったけど、
あなたは、どうする?パラグアイに残る?
それとも日本に帰る?」 嫌も応もなかった。
農場のメンバーで誰1人彼女に逆らえる人などいない。

「僕は旅に出ます」
「私たちは日本に帰りたいです」
「私たちはパラグアイに残りたいです」
「いずれアメリカに行く積もりです」
誰1人、どうしてこんな形で解散するのか?
ーなどと追求する人は誰もいなかった。
何しろ彼女は「教祖」なのだ。
しかし、みんなその原因は察していた。
先発隊の一部が造反して日本に引き上げて
マスコミを騒がし告訴騒ぎになっていることを
日本からの手紙や遅れて入植した
北原の情報などで知っていた。
相当ヤバイ状況に追い込まれているのだな、
と皆は想像した。

日本に引き上げて「詐欺だ」
と騒いでいる人達と異なり、農場の人たちは、
「騙された!」とは誰も思っていない様だった。
北原も呼び出されて「どうしますか?」
即決を迫られた。 女史の周りに座っている
4人組幹部も北原を見つめた。
そんな決断がすぐ出来るわけがない。
北原は返事を保留した。
しかし、他の人達の身の振り方は次々決まっていく。
北原は、このままでは、
女史のペースで事が決められてしまう、
と危機感を覚えた。
冗談じゃない、北原家族がこの農場に入って
まだ1カ月足らずだ。
余りに早い農場崩壊だ。
「しばらくアスンシオンに出て考えさせてほしい」
と北原は答えた。
「ああ、そう、じゃぁそうしたらいいわね」にべもない。
一旦、この女史ペースの大波から身をかわすのがいいと
北原は判断した。
アスンシオンに誰1人知り合いなどいない。
お金とてわずかしか手持ちがない。

翌日の昼、北原は優子と二人の子供を連れて
本部前からユーカリ並木を国際道路に向って歩いた。
ユーカリの芳香が鼻孔をくすぐる。
優子や子供たちの気持ちを思うと胸が痛くなった。
(しっかりしなければ)北原は唇を噛みしめた。
農場前でグレイの車体のアスンシオン行きのバスを待った。
北原たちは、人員整理の大嵐を避ける一時避難なので
小さなバッグに着替えと洗面用具程度を詰込んで
農場を後にした。

アスンシオンではメルカード4番(市場)近くの
小さなホテルに泊まった。
白い壁の薄暗い侘びし気な部屋にベッドが3つポツンと
置いている。
道路沿いの窓を開けると車や人込みの
騒音がワッと部屋に流れ込んできた。
一応、家族部屋なのだろう。
ボーイにもう一つベッドを入れるように頼んだ。
部屋の中にいると気持ちが滅入るばかりだから
みんなで外に出た。
メルカードはごった返していた。
リヤカーや手押し車で荷物を運ぶ人、
物売りのセニョーラが頭に篭を乗せて
チーパ(チーズ、卵、小麦粉で作った
パラグアイを代表するパン)や
エンパナーダ(餃子をひと回り大きくした形で
中に玉葱、ひき肉、卵などを混ぜたものを揚げている)
などを売り歩いている。
ゴミが道路のあちこちに散らばっており、
トマトや野菜などのすえた臭いが鼻をつく。

「ちょっと、ちょっと、あんた達、日本人?」
信号の手前の雑貨店で1人の日本人のおばちゃんに
大きな声で呼び止められた。
「はい、そうです」
「どこに住んでるの?」
「イパカライです」
「あんたたちがイパカライに騙されて来た人たちなの!」
「父ちゃん、父ちゃんちょっと来てよ。この人達、
イパカライの騙されて来た人達だよ」
奥から60過ぎの痩せぎすの親父さんが出て来た。
「それであそこには、何人位いるんだよ?」
目を輝かせて尋ねる。
アスンシオンの日本人移住者の間では、
かなり噂になっているのだろう。
「あんな砂地じゃあ、何も育たないよ。
俺達はこの辺の事はぜーんぶ知ってるよ。
ヤマ(コロニア)から出て、
近郊で転々と農業してきたんだから…」
「それでその教祖ってのが来てみんなを
追い出しているっていうの?ひでぇ話しだ」
その親父さんは、青森県出身でパラグアイに
移住して20年、戦争中は海軍主計士官
(会計を司った士官)だったという。
雑貨店の奥の小さな倉庫のような部屋に
招き入れられて元海軍主計士官と雑談が続く。

翌日、北原たちは元海軍主計士官、
山田さんに勧められて雑貨店奥の部屋に
泊めてもらうことになった。
雑貨店の奥のすえた匂いのする狭い通路を入ると
左右に小部屋が2つづつ並んでいる。
人夫たちの部屋のようだった。
「泊まってもいいよ」と言われたその部屋に
入って北原はいっぺんに気持ちが萎えた。
倉庫のようなその薄暗い小部屋は壁のモルタルが剥げ
レンガはむき出しになっていた。
天井には裸電球が無造作に吊り下げられており、
まさに倉庫の趣きだった。
確かにベッドは2つあった。
あと2つパラグアイ人の使用人がどこかから
持って来てくれた。
優子がベッドにへたり込んで泣き出した。
子供たちも所在なさそうにベッドに座り
足をブラブラさせている。
北原がボンヤリ部屋の前に置いてある椅子に
腰掛けていたら
「フエルサ!フエルサ!…」(元気をだせ)と
1人の中年の太ったパラグアイ人が北原に
両手を広げて言った。
多分「ガンバレ!」とでも言っているのだろうと、
察しがついた。
おしゃべりな山田のおばちゃんが大袈裟に
「だまされてきた人達だよ~」と彼に話したのだろう。
3晩、何とか辛抱してその部屋に泊まったが、
優子や子供たちは我慢の限界に達していたようだった。
北原は意を決して農場に帰る事にした。

農場に帰ると殆どのメンバーが農場を出て
アスンシオン近郊に家を借りて
共同生活を行うということだった。
牧場を担当していた磯崎青年は南米放浪の旅に出るという。
リーダーの深田兄と弟、それに小島公洋・幟登美夫妻、
寺岡家族らが態度を保留していた。

「北原さんたちは、どうするか結論はでたの?」
千乃女史が聞いた。
「また北原さんたちだけで出ていきますか?」
天才山南が口辺をゆがめてせせら笑った。
「ここでの生活を保障するということで
大金を寄付したのだから、当然ここに残りますよ」
「みんな出て行くのよ。
どうやって生活していく積りなの?」
哀れむように女史が言った。
「ここに残るのは認めません」と女史。
話し合いは決裂した。



ー残留を決めた北原たちー



北原がここに残ると決めたことを聞いて、
態度を保留していた深田兄弟や小島、寺岡家族らも
同調した。
孤立していた北原に味方が出来た。
特にリーダーの深田兄と小島登美が残留を決めた事は
心強かった。
リーダーの深田兄は博士号を取得している
インテリだけあって理路整然と千乃女史の強引なやり方に
異を唱えた。
しかし、女史と深田兄の論争では、
まだまだ女史の方が1枚も2枚も上だった。
小島登美は「まぁまぁ~ばあちゃん」と、
北原は勝手にあだ名をつけていた。
まぁまぁ~ばあちゃんは、
「まぁまぁ~夕陽がきれい!」
「まぁまぁ~、お花がきれいなこと!」
と何にでも感動することから名付けていた。
寺岡夫婦の奥さん佳津子が小島夫婦の娘だった。
寺岡夫婦の1人娘、ユリは、
まぁまぁばあちゃんの孫に当る。
このまぁまぁ婆ちゃんは、その物言いの柔らかさの裏に
芯の強さを秘めていた。
静岡県で生命保険のセールスをしていたという
小島登美はカリスマセールスレディとして有名で
日本初の女性重役登用が噂されていた女傑である。
千乃女史もこの小島登美には一目置いていた。

「解散は絶対おかしい。私たちはここに残る」とする
北原、深田、まぁまぁ婆ちゃん、それに寺岡夫婦の
抵抗勢力が女史と対決した。
彼等が「日本超心理研究会」代表・千乃幸恵が主催する
「新ノアの方舟組織委員会」に寄付した金額は
3000万円にもなる大口寄付者だ。
当然発言権も大きい。
彼等抵抗グループには女史もたじたじとなった。
特にまぁまぁ婆ちゃんの話術は見事だった。
女史は男性的な強引に上から命令するような話し方をする。
これに対してまぁまぁ婆ちゃんは、
柳が風にそよぐようなソフトな語り口で
ジワジワと女史の矛盾をつき、
そして決めるべきポイントになるとグーの音も出ないように
ピシャリと決めつけた。
さすが元スーパーカリスマ保険セールスウーマンの
名に恥じない婆ちゃんだった。

ノアの方舟乗船希望者向けの説明書には
次のような条項が書かれていた。

「生活方式の条件は土地、家屋、食事の保証は
居住するかぎり保証されます。労働に関しては、
自給自足を条件のものとしての、生産的なものに分かれ、
生産によるものに関しては、当然、労賃が
パ国経済形態に従って支払われます」
この規約を楯にとって北原たちは
千乃女史に対抗したのだった。
農場を出たら契約は解消され女史は皆の生活を
保証しなくていい。
従って何が何でも女史は全員を農場から
外に出したかったわけだ。

北原が見る所、青年達やいつもつなぎ服を着て
野菜作りに精を出している後藤のじいちゃんなどは、
お金など寄付していないだろうと思われた。
他の人達も寄付したとしても僅かか、
女史の絶対的な信奉者たちが農場を出る
グループに入っていた。
ある日、磯崎青年がギターと僅かな荷物を持って
みんなに見送られて旅立った。
そしてアスンシオンの貸家で共同生活する
大半のメンバーが慌ただしく農場を出ていった。
北原たちは、結局、女史の「勝手にしなさい!」の
捨て台詞に「勝手に残りますよ」と農場に残った。
北原たちが寄付したお金、つまり当農場の運営費を
1銭も女史は残していかなかった。
完全な契約違反だが、
それはそれで仕方ないと北原たちは思った。



ー晴耕雨読の農場生活が始まったー



イパカライ農場90町歩(27万坪)で
北原たちの晴耕雨読の気ままな生活が始まった。
農場には一応、野菜畑もあり、乳牛37頭、
繁殖牛157頭、豚40頭、鶏600羽がいる。
最低限の自給自足は出来る。 トラクターもあった。
廃車寸前のボロジープは彼等が持っていった。
パラグアイ人の牧童、チトは牛の世話を
させるため残された。
いつもニコニコ笑顔で台所仕事をしていた
女中のネッカは解雇された。

北原達は生活パターン、役割を決めた。
牛、豚の世話は深田弟、北原の長男賢太(10才)、
それにチトの3人。
畑は深田兄、北原、寺岡和人(30才)。
寺岡は、まぁまぁ婆ちゃんの娘婿。
それにまぁまぁ婆ちゃんの
主人小島公洋(58才)の4人。
4人は畑と鶏も担当した。
卵は重要な現金収入だ。 畑ではアスンシオンの
市場で売れるピーマン、トウガラシ、トマト等を植えた。
それに砂糖の300倍の甘さがあるという
ステビア(カーヘー)も試験栽培した。
これはパラグアイが原産地で
今後大ヒットするのではないかと期待されている作物だ。
優子や深田兄の奥さん純子(32才)、
寺岡佳津子(28才)たちは、
食事当番でまぁまぁ婆ちゃんは、北原の次男達也(9才)、
深田の長男健(5才)、妹よしえ(3才)、
寺岡の娘由利(4才)たちの保母さんをした。
そして夕方になるとユーカリ林に子供たちを連れて
薪拾いに行った。
その様は、まるでアヒルの親子がガ~ガ~、
ヨチヨチ歩いているような映画のワンシーンにも
似て皆の笑顔を誘った。
北原の子供たちの勉強は深田弟が担当した。
朝7時半、朝食。8時半から作業開始。
12時の昼食後3時まではシエスタ(昼寝時間)、
午後は3時から6時までと、
ゆるやかな時間割りを作った。

農場のゴタゴタ騒ぎの最中、顔を見せなかった
キムさんがまた、毎日来るようになった。
「キムさんが来たヨ~!」とドタバタ走り回る
お知らせ健がまた、復活した。
「千乃さんたちはフエルナンド・デ・ラ・モーラに
家をかりたらしいよ。結構大きな家らしいね~」
キムさん情報は北原たちにとって有難かった。
「養鶏をやったらいいよ~。
リーさんは2年前に来たんだけど儲けてるよ~」
真っ黒く日焼けした平べったい顔は顎が張っている。
細い目を見開いて独特のイントネーションで
唾を飛ばしながらしゃべりまくる。
キムさんは毎日アスンシオンに卵や雛を卸したり
集金に行ったりしている。
北原たちは毎週月曜日と金曜日の朝、
キムさんのおんぼろジープに乗って
アスンシオンの市場に卵やピーマン、
トウガラシ等を届けた。
いくら自給自足といっても肉やお米、パン、
などの食料品、発電機の燃料など
最低限買わねばならない。
金額は少なかったが卵や野菜の
現金収入はありがたかった。
北原たちの販売商品にそのうちチーズが加わった。
朝は毎日、深田、賢太、チトたちが牛乳をしぼっている。
大人8人、子供5人の北原たちにとって牛乳は多すぎた。
残った牛乳はチーズにして市場に出した。
徐々に北原達の生活パターンは定まって落ち着いてきた。
まぁまぁ婆ちゃんは子供達の保母さんよろしく
ユーカリ林に薪拾いに行ったり、
農場内の池に散歩に行ったり、
草花を愛でては絵を書いたりしていた。

「キタハラさん、テラオカさん、僕の兄さんが
イグアスの日本人の所に集金に行くんだけど、
運転手しないかね?」
ある日、キムさんが切り出した。
一応、二人とも国際運転免許証は、日本で取って来た。
イグアスには、日本人移住地がある。
1961年、造成分譲されたコロニアだ。
その移住地は、農場の前の サンパウロに通じる
国道2号線を走って 首都アスンシオンから
その移住地迄285Km。
パラグアイとブラジルの間にパラナ河が流れており
その大河が国境線だ。
そのパラナ河に「友情の橋」がかかっている。
その橋を渡って約30Km程行くと
世界1の大瀑布「イグアスの滝」がある。
昔はパラグアイ、ブラジル、アルゼンチンの国境に
あったのだが、パラグアイの世界戦争ともいうべき
「3国戦争」(1864年~1870年、ブラジル、
アルゼンチン、ウルグアイ)で大敗を喫し、
今は、ブラジル、アルゼンチンの国境沿いにある。
                     (続く)




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