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2007.06.20 (Wed)

「イグアス」に夢を賭ける新移住者たち

「壱番さん」

JICAの移住業務が途絶えて久しいが、近年、個人ベースでパラグアイに移住して来るケースがチラホラ目につくようになった。パラグアイの移住地の中で抜群のロケーションの良さを誇るイグアス移住地にもそんな一人が移住して来た。
沢村健郎(けんろう・41歳・高知県出身)さん、こと「壱番」(いちばん)さん」だ。
「誰も本名等など知らないでしょう…」。今やすっかり「壱番さん」で通用している彼が、イグアスに来たのは4年前の2003年、劇団の公演の下調べで来たのが最初だ。
劇団「1980」(いちきゅはちまる)のツアー公演副団長をしていた彼はサンパウロをはじめブラジル国内でどこか公演出来る所はないか、と探していた。
団員は35人。東京中心に地方公演などを行ってきた。南米公演では素劇で真っ黒な衣裳で昭和の“佐藤ちあき”という歌手の一生をミュージカル劇とした。公演は皆が知っている歌を随所に折り込んで観客と一緒に歌い、各所で受けた。それを2004年12月、イグアスでも行った。
「ブラジル国内11カ所で芝居をやった時、どこでも字幕を出します。『ここでは全く必要ない』と言われたましたが、(大丈夫かな?)と、半信半疑だった。字幕を出さなくても僕らの芝居を全部分かってくれたので『すごいな!』と、日本より日本らしい所だと感激しました」
日系社会に昔から興味があった彼は、澤崎琢磨さんから「一緒に働きませんか?」と誘いを受けた。1年間、日本で資金を稼いで昨年9月に来た。その時は観光ビザの滞在期限3カ月間、滞在しイグアス日本語学校の学習発表会の指導をしたりした。
パラグアイに来る前、タイに永住したいと考えてタイ語を真剣に学んでいた。しかし、イグアス日系社会を知って自分が取り組みたいことが出来るのは、ここだ、と結局、イグアス移住を最終的に選択し、今年、正式移住を決めて来パ。
現在永住権の手続きをしている。
基本的には午前中、日本人会で働いて午後は太鼓工房の手伝いをしながら「自分のやってきたことをここでやりたい」と自分の夢をこの地に賭けた「壱番さん」。
劇団「1980」は、来年ブラジル日本人移住100周年記念事業での公演が決まっている。


「太鼓工房」

「文化と匠の里・イグアスジャパンタウン」構想は、本紙が10数年前から唱えてきたテーマだ。これはまず、地の利に恵まれたイグアスにモデルタウンを作り、その街創りを徐々に他の移住地にも広げよう、というものだ。
当初は「匠の里・イグアスジャパンタウン」だったが、99年に来パ公演した「こだま」(日本の地方芸能の庶民文化を紹介)の主宰者・澤崎眞彦教授の「文化も入れましょうよ」との提言を受けて以降、“文化と匠の里“がキャッチフレーズになった。
澤崎教授と「こだま」のリーダーだった子息の琢磨さん、雄幾さん共々、イグアスがすっかり気に入り2人が同地に移住して丸5年になる。
そしてパラグアイの原木を使って太鼓を作る「太鼓工房」が誕生した。
そして今や、ブラジルにも太鼓が出るようになった。
イグアスを南米の日本文化の発信ベースにしたいとする澤崎教授らの夢も着々と進行中だ。
「壱番さんはもちつきのパフォーマンスもやる。去年、ここでの結婚式で披露して評判が良かった。彼が来てくれたことで僕らの和太鼓とか踊り以外の文化もより広げられることになる」と新しい仲間の加入を喜ぶ琢磨さん。
パラグアイ日系社会も昨年、移住70周年を迎えた。戦後移住からも半世紀を越えた。一世たちが高齢化し移住業務を主導してきたJICAも撤退中だ。
“移住社会疲れ“でどちらかと言うと”守りの体制“に入ったように見える日系社会に新しい血は欠かせない。
「二世、三世の子たちが日本にどんどん行く。これを引き止める事は出来ない。
逆に壱番さんや僕たちのような人間がこちらに来て何かやれることが出来れば、
日本から新しい人たちがこちらに来る、という道が出来ればいいなと思う。
そうすればここを出て行った若い人たちもこちらに戻って何かをやれるのじゃないかと考えています」。
新しい血が入って新しい感覚で街創りが出来、何やら文化的な香りがする街創りが出来れば、「ここに住んでみたい」と思わせるようなものが出来れば若い人も帰って来るだろう。
「現在、石井棟梁が中心になって作っている3尺太鼓(くり抜き)は来年のブラジル100周年祭に“荒馬座”の公演で使います。荒馬座は日本では4尺の太鼓を使っていた。それは、くり抜きでなく桶(おけ)の胴ですね。その大きな太鼓をここの移住地に置きたいと考えています」

「秋田のお祭りで有名な竿燈(かんとう)も作っているし、お神輿も小さいのが出来ている。太鼓の鼓組(つつみぐみ)などに日本民民族のパフォーマンスでもちつきや 竿燈等をやってもらえれば賑やかになりますね。僕は劇団で広報とか発信業務を長年やってきたので、そういう方面でここのお手伝いをしていきたい」と壱番さん。


「イグアス日本・匠センター」

イグアス移住地で“森作り”が進んでいる。イグアス日本人会(公文義雄会長)が日本経団連自然保護基金の助成(2年連続)を受けて進めているものだ。
イグアス日本人会育苗センターも出来、交流の森、鶴寿の森、太鼓の森など現在、9つの森が誕生した。また、昨年暮れには環境保護対策委員会(篠藤菊雄委員長)も出来て活発に活動している。また、7月下旬にはアスンシオンから寿会(山田一明会長)とオイスカメンバーも同地を訪れての植林も計画されている。その原動力となって動いたのが渡辺忠オイスカ南米駐在代表だ。同氏もイグアスに来て早くも1年9カ月になった。
念願だった永住権も取得出来、セズラも取る事が出来た。
「この移住地には皮製品や手芸、絵など“玄人はだし“の人たちが沢山いる。ただ、残念なことにそれらを展示する場所がない。旧JICA事務所(日本人会所有)を常設展示場としての匠センターに出来れば良いですね」と昨年、日本人会に提言して日本万博機構に申請した。しかし、昨年は選にもれた。今年も再申請することが理事会で決まった。
「他の移住地で作ったモノも展示したり即売出来ればいい。同匠センターに喫茶室やマテを飲んだりする談話室なども作れるといいですね」日本全国にある“道の駅”的なものが同地に出来れば人の往来も増えるだろう。
我々アスンシオンなどから来る“他所者(よそもの)”としては、ここに来た時「ラーメン屋があればな~」とか、「居酒屋とか喫茶店位欲しいな~」と勝手な希望を膨らませる。
日本のODA案件、イグアス水力発電所が動き出せば、ここも賑わうだろう。
これまではJICA主導で日本人会とか農協とかが中心となって日系社会、コロニアを引っ張ってきたが、そろそろ自発的な「街創りを考える会」的なものが出来てもいいのではなかろうか。
イグアスの産土神(うぶすながみ)を祭る「鎮守の杜」作りも始まった。
日本人には春の収穫を願う祭、夏の盆踊り、秋の収穫を感謝するお祭、ピーピーヒャララピーヒャララーの歌や踊りを喜ぶDNAが埋め込まれている。
“村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭日~“と歌われる懐かしい唱歌。
一般的には、その土地の守護神をまつった神社の杜を鎮守の杜という。
「ふるさとの木によるふるさとの森」が出来れば、日本人移住者を暖かく受け入れてくれたパラグアイの地母神(ちぼしん・じぼしん)も喜ぶことだろう。



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テーマ : 南米 - ジャンル : 海外情報

タグ : 移住 パラグアイ イグアス 太鼓工房 森作り

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