2017年11月/ 10月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫12月

2006.06.23 (Fri)

「終わりの戸」を開いた 尾張戸神社での奇瑞

今、建立準備に取りかかっている平和の杜(イグアス神社・仮称)
の発端となったのが、下記に掲載した愛知県尾張戸神社を参拝した
時の奇瑞である。

ー尾張戸神社ー

        (日系ジャーナル1984年5/15日号)


高倉道男の「ニッポン実感報告」(最終回)
 
ー金星に瑞兆を見て知る日本の終わりの時ー
さて、当シリーズもいよいよ最終章となった。
実は、この章を書くべきか否かで、ハムレット並みに随分、
逡巡したのだが、事実は事実、厳然たる事実として残すべきだー
との結論に達し、筆をとった。

 
ー由緒ある尾張戸神社ー

愛知県春日井市の東海理化販売(株)の渡辺大起社長を訪れたのは
10月27日であった。
当日は当会社の武藤専務の自宅に泊めて頂いた。
当宅で夕食の談笑中、ひっきりなしに武藤専務に電話がかかった。

「こんなことも珍しい」と武藤専務、渡辺社長共々微笑していた。
夕食後、ソフア-で歓談している時、当家の裏手、
東谷山(とこくにやま)の頂上にある由緒ある尾張戸神社が
話題にのぼった。
当神社まで歩いて30~40分程度だということで、
翌朝、朝食前の腹ごなしに渡辺社長と二人で6時半に
出発することにし、
用意されたフカフカふとんで眠りについた。

翌朝、武藤専務のトレパンを拝借し、家を出た。

裏手のNHKグランドの金網わきの細い道を通り抜け、
10分程で尾張戸神社表参道入り口にさしかかった。

専門家の話によると、当神社は名古屋の熱田神宮より
1000年単位古い起原を持つ神社だという。

しかし、社会的、歴史的権威のある熱田神宮の名声を
くつがえすのも社会的影響が大きいとして一部の人々の間でのみ
知られている事実である、ということであった。

この表参道入り口前に奇妙な鳥居があり、
中は玉砂利がしきつめられ、神社と慰霊碑らしきものが設置されていた。

奇妙な鳥居、と言ったのは、普通の鳥居の上に×印に
木が組み合わされ、その三角のワク組の中にダビデの星の
マークが刻み込まれていた。

伊勢神宮の参道灯籠にユダヤ教のシンボルたる
ダビデの星の取り合わせは不思議なハーモニーを醸し出していた。

尾張戸神社の参道を入ると、大雨にえぐられた人頭大の石が
あちこちで露出していた。

道中、先程の東谷奇玉陵(とこくにくしたまりょう)のことを
渡辺社長に尋ねると、これを造営したのは天祖光教という
宗教団体で同教の教祖蔽顔大教主(明治43年生まれ、昭和44年没)
がこの霊格の高い尾張戸神社を守護するため、当地に本部を設け、
神示を垂れた、ということである。


ー尾張戸神社とはこの世の
 終わの戸を開く意ー


その教祖曰く、この尾張の国とは、「おわり」の国の意であるとし、
この尾張戸神社は、この世の終わりの時代の戸を開く
実に重要な神社で、天祖光教は、この尾張戸神社の最後の時の戸が
開かれるまで御守護申し上げるために、当地に開教し、また、
教祖死して後にも教祖の意を体して、
表参道入り口前に奥津城を造営したという。

なお、教祖の説くところでは、「終わりの戸が開かれるとは」
(霊的な意味)、即ち、新時代の幕開けとなることであり、
実に喜ばしいことであるという。

同教団は、教祖亡き後、高弟が護持しているという。

渡辺社長は同宗教と何の関係もないのだが、
宗教関係に造詣の深い氏だけに同教の由来にも詳しかった。

参道は途中からかなり急勾配になってきた。

60年配の渡辺社長を気づかって、途中、「休みませんか?」と
聞いたのだが、いやいや、大丈夫」と
なかなか達者な足をお持ちのようだった。

いよいよ頂上が近付いたらしく石段のある所にでた。

その石段を上り詰めると、頂上の台地に尾張戸神社があった。
それは思ったより小さく質素な神社だった。

折しも明け染めた朝日がまばゆい陽光をきらめかせて
同神社周辺を踊っていた。


ー記されていた”天のしるし”ー

正面参拝所に参拝者用ノートがペンとともに置かれている。
記載しようとそのノートを開いた渡辺さんは、
じっと食い入るように見つめていた。

やがて私にも見るように促し、そのノートを渡してくれた。
そこにはこう書かれていた。

ー瑞兆を観て日本の終わりを知るー
”10月28日、午前零時、金星の辰巳の方角に5色の彩色がかかる
瑞兆をみて日本の終わりの時を見た”吉田某。

これを見て、昨夜からの私の予感が的中したなとの
安堵感にも似た感慨がしみわたるように全身に広がった。

「この人は天祖光教の幹部ですね」と渡辺さんが
押し殺したような声で言った。

「さあ、どうぞ」と促されて、その文字の下に

”1983年10月28日、パラグアイ国アスンシオン市
高倉道男”とゆっくりと書いた。

柏手を打って深々と頭を垂れ黙とうを捧げた時、
眼底にありありとある風景が浮かんだ。

全身を戦慄にも似た深い感動が襲い、
体が小刻みにふるえるかのようであった。


ー今は鳴くらむ うぐいすの声ー

神社の右手に行くと古墳の一部であるテーブルストーン(天井石)
がある。その傍らに案内版があり、
その説明書によると山頂からふもと迄数十基の古墳が発見されているが、
その多くは盗掘されたりして重要なものは残されていないということであった。

そこを更に東端に行くと一気に高蔵寺ニュータウンが
パノラマ状に望見できた。

山肌をえぐりとって開かれた団地の右手にこんもりとした小高い山が見えた。

この盆地の底にあるようなやわらかなシルエットをもったこれらの風景は、
なぜか言い様のない懐かしさをもって私に迫ってきた。

その時、ふっと次のような万葉の古歌が頭に浮かんだ。

”あおによし
奈良の都にたなびける
天の白雲
みれど飽かぬかも”

まさに、「あ、ここは、私のふるさとだ」という奇妙な感慨に
包まれたのだった。

「あの右手の小高い山が高蔵山です。
昔は高倉山と呼ばれていたそうです」との渡辺社長の言葉に
頭のてっぺんからしとどに涙あふれ身体のすみずみまで
濡らしていくかのような情動に突き動かされた。

参拝の帰途、山頂での不思議な”しるし”の重みをじっとかみしめ、
黙々と下山していると、
「あれ、うぐいすが鳴いていますよ!」
との渡辺社長の声にハッと気付くと、
なるほど、うぐいすがホーホケキョ!と
2声3声澄んだ音色で鳴いていた。

”尾張戸のかむごとすみて
   空さやに
      今は鳴くらむ
         うぐいすの声”

時はまさに日本の晩秋であった。

        (日系ジャーナル1984年5/15日号掲載)



ランキングに登録しました。
良かったら、クリックして下さい。


タグ : ニッポン実感報告 尾張戸神社 イグアス神社

16:08  |  イグアス神社  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
 | HOME |